2020.06.25 07:40東京コラリアーズの研究 (継続中) ブログの方に「東京コラリアーズの研究」として,下記の章立てで連載を続けている。 I章 東京コラリアーズの誕生 なぜ東京コラリアーズを発足させたか II章 活動記録分析 年毎の活動記録, III章 活動の分析 全期間のステージ・演奏曲・メンバーの研究 IV章 考察6/25現在でIII章まで終わり,後は考察を書いていく。今までなら,章毎にまとめこちらに掲載していくところなのだが,連載が...
2019.09.09 05:00グリークラブアルバムの研究 各曲編 25. 柳河 本来は「グリークラブアルバムの研究 日本曲編」の最後だが,長文になったため別項目とする。25. 柳河作詩 北原白秋作曲 多田武彦 グリークラブアルバム日本語編のラストは,やはりこの曲。組曲「柳河風俗詩」の第一曲であり,多田武彦データベース*によれば「87年のご生涯で113作の組曲(うち95作が男声合唱組曲),単曲ベースのカウントで719曲の合唱曲を作曲」の第一曲でもある。個人的にも初...
2019.09.08 08:14グリークラブアルバムの研究 日本曲編20. 帰ろ 帰ろ作詩 北原白秋作曲 山田耕筰編曲 福永陽一郎 ここからしばらく日本語の曲になる。この曲は北原白秋作詩・山田耕筰作曲と,「童謡・唱歌のゴールデンコンビ」の作。大正14年(1925年)4月に雑誌「童話」に発表された。曲名は曲名は「帰ろ 帰ろ」となっているが,「かえろ かえろと」が正しい(最初につけられた)。「かえろ かえろ」としているものもある。この曲や白秋と耕筰の関係など,書籍やネ...
2019.09.03 08:13「流浪の民」と「薩摩潟」 以前,「合唱という言葉はいつ頃から使われたか?」に,シューマンの「流浪の民」は明治40年に石倉小三郎が現在も使われている訳をつけるまえは,鳥居忱の創作訳で「薩摩潟」として歌われたことを紹介した。「明治40年にはシューマンの「流浪の民」が,今なお使われる「ぶなの森の葉隠れに」で始まる石倉小三郎の新訳で歌われることが報じられている。それ以前は東京音楽学校の教授だった鳥居忱の作歌で「薩摩潟」として歌わ...
2019.08.30 08:32合唱組曲の誕生と普及 本当は一つの記事にしたかったんだけど,長すぎるのかホームページに上手くアップすることができない。なので,ここに順にリンクを張ります。 お手数ですが,順に飛んで読んでください。
2019.08.30 08:20合唱組曲の誕生と普及 6)③出版社の動機 「出版社にも組曲はメリットがあった」という仮説,正確に言うと「組曲が広がっていく中でメリットを享受した出版社があった」という話で,もっと具体的に言うと「組曲に目をつけたカワイ楽譜*が戦前からの合唱楽譜出版社を叩き潰した」という仮説。* カワイ楽譜については以下を参照。 https://ameblo.jp/tonotono-57-oboegaki/entry-1223552659...
2019.08.30 08:13合唱組曲の誕生と普及 (5)②合唱団の動機 合唱団の演奏会,例えば大学合唱団の演奏会に行くと,全て同じテンプレートが適用されている。まず学歌やクラブソング,続いて前半に2つのステージ,休憩を挟んで後半も2つのステージ,最後にアンコール。稀に3ステージや5ステージの場合もあるが,基本この構成。ジョイントコンサートの場合は,学歌の交歓の後,前半各々1ステージ,休憩を挟んで各々1ステージ,もう一度休憩の後合同演奏,アンコール。こ...
2019.08.30 08:08合唱組曲の誕生と普及 (4)Ⅳ 合唱組曲の普及 前節末に述べたように,合唱組曲の普及については作曲家,合唱団,楽譜出版社の各々に「動機」があったと考える。どれがどれの原因という関係ではなく,相互に関連しながら組曲が普及していった。以下,各々について述べていく。①作曲家の動機 合唱辞典を元に,合唱組曲を作曲した初期の人を示す。赤字で示したのは,作曲者(編曲者)が自ら指揮する団体のために作曲した作品。混声表記以外は男声。初演時点...
2019.08.29 09:04合唱組曲の誕生と普及 (3)Ⅲ 初期の合唱組曲①「月光とピエロ」に付けられた名称 戦争中や戦後すぐの合唱活動の状況は,この項目のスコープから外れるので省略する。戦中のドキュメンタリーで,空襲やその後の瓦礫上の街や食糧難の話を見ると合唱どころではなかったように思うが,昭和19年頃まで演奏会も開催され,音楽教育が軍事活用できるという思いもあり案外盛んだったことと,戦後の回復も思ったより早いことを述べるに留める。 昭和23年(19...
2019.08.29 08:11合唱組曲の誕生と普及 (2)Ⅱ 戦前の合唱組曲 合唱組曲を「複数の合唱曲から構成され,作曲者がそれを組曲と名付けたもの」と定義した。これを用いて日本で合唱組曲が作られた経緯を探っていく。 日本で最初の合唱組曲は,昭和24年(1949年)に清水脩が東京男声合唱団を指揮し演奏した「月光とピエロ」だと言われている。Wikiには「このとき連作歌曲様式を採用したことが、日本のみならず世界初の『合唱組曲』となった。」と記されている。海外...
2019.08.29 07:58合唱組曲の誕生と普及 (1)2019年版 最初に言い訳を書くのは気がひけるけど,この「合唱組曲の誕生と普及」,つまりなぜ日本では合唱組曲が多いかについて,最初に原稿を書いたのは2016年。中核のアイデア・着想は悪くないと思うのだが,書いてみるすっきりしない。毎年書き直し4種類の原稿ずある。今年版のサブタイトルは「改定・新」である。悩んでいても仕方がないので,ここで区切りをつけ公開することにした。 すっきりしないのは情報と妄想...
2019.04.04 09:03「カワイ合唱名曲選」の表紙デザインと古代ペルシャ(エラム) 昨日,ちょっと強引に合唱(音楽)と古代ペルシャを結びつけた。昭和40年台にたくさん出ていたカワイ楽譜の「カワイ合唱名曲選」,一曲ごとや短い組曲ごとに売られていたピース形式の楽譜表紙に楽師の隊列が描かれ,その説明に「ペルシャのエラム族(紀元前2千年前)の遺跡から出土した浮彫で,祝い日に,楽器を奏し歌を歌って行列行進する図である」と説明されている。 軽い気持ちで上げたのだけど,古代遺跡大好き,合唱大...