日本の男声合唱曲や合唱史にまつわるもろもろについて,比較的長文のものを上げていきます。
福永解釈と合唱LP
福永解釈とは,直接には多田武彦の男声合唱組曲「富士山」の4曲目「作品第拾捌」(じゅうはち)の冒頭,福永陽一郎が振ったテンポのことを指す。関西学院グリークラブの広瀬先生が新月会90周年演奏会で書かれた
日本男声合唱史研究室
グリークラブアルバムの研究 外国曲編
今回からこの項目も,ブログへのリンクを貼る形式とする。26. 水夫のセレナード作曲者であるエマーソンについてと戦前に日本で歌われた彼の男声合唱曲や,よく取り上げていたオリオンコールについてもまとめる。
『明治期の音楽訳語創出について -瀧村小太郎の訳業-』
明治期の音楽訳語創出について -瀧村小太郎の訳業- 以前「『男声合唱』か『男性合唱』か?」*で,日本の音楽用語の多くが瀧村小太郎の訳をもとに作られており,…
とのとののブログ
『三善晃作曲 男声合唱曲「五月」について』
三善晃作曲 男声合唱曲「五月」について 2023年3月「グリークラブ・ソングセレクションⅠ・Ⅱ・Ⅲ」が音楽之友社から刊行された。「長年未出版で手に入りづら…
『混声合唱曲の男声合唱編曲 -福永陽一郎のいくつかの編曲を中心に-』
混声合唱曲の男声合唱編曲 -福永陽一郎のいくつかの編曲を中心にて- 同志社グリークラブの定期演奏会で福永陽一郎編曲の男声合唱曲「島よ」を聴き,改めて混声合唱…
柳川の旅 -男声合唱組曲「柳河風俗詩」のために- (1),(2)
北原白秋のふるさと「柳河」は,昔から訪れてみたかった(現在は「柳川」だけど,「柳河」と書かないとしっくりこない)。白秋は昭和17年(1942年)11月2日に亡くなっているので,2022年は没後80周
合唱演奏会 パンフレットの推移
合唱演奏会パンフレットのフォーマットはどのように「収斂」としていったかについて。
東京コラリアーズ縁起 東京コラリアーズの研究 特別編3
「東京コラリアーズ縁起」の冒頭を紹介したのは2020年12月30日のこと。それから2年半経ってしまった。言い訳になるけれど,サボっていたわけではなく,声楽家畑中良輔はなぜ合唱に入れ込んでくれたのか,
「男声合唱」か「男性合唱」か?
male chorusやMännerchorは「男声合唱」と訳されているが,大正の終わり頃に山口隆俊が指摘したように,直訳は「男性合唱」。それがなぜ男声合唱とされたのか?について。
東西四大学合唱演奏会の発足
東西四大学の発足,東京六大学の発足,関西六大学の経緯,戦後の東西交流と全日本合唱連盟の成立など,全9回の長編。
多田武彦の「ミスマッチ」について
多田武彦の漢字の読み方は,詩人の読み方や慣用的な読み方と異なるものが散見される。「室」のように辞書的に多田が正しく,詩人の慣用的な用法は辞書的に不可なケースもあるので,これを「多田の読み間違い」とす
「合唱のためのコンポジション」について
第1回はこちらから。全5回。
第70回東西四大学合唱演奏会の中止と男声合唱組曲「雨」について
第70回の東西四大学合唱演奏会が昨年の第69回に続いて中止となったことに絡め,過去最大の危機だった第18回について当時の状況をまとめた。 関西学院グリークラブが演奏した多田武彦の男声合唱組曲「雨」を
東京コラリアーズ縁起
東京コラリアーズについて調査と研究を進めてきたが,その後入手した大阪労音演奏会パンフレット「東京コラリアーズとダークダックスによるポピュラーソングアルバム」に,福永自身による「東京コラリアーズ縁起」
初期のダークダックスについて -東京コラリアーズの研究 特別編-
「東京コラリアーズの研究 特別編」として,初期の(昭和30年代までの)ダークダックスについて9回のブログ記事を書いた。これも長いのでこちらに転載せず,ブログの最初のページへのリンクを貼る。https:
東京コラリアーズの研究 (継続中)
ブログの方に「東京コラリアーズの研究」として,下記の章立てで連載を続けている。 I章 東京コラリアーズの誕生 なぜ東京コラリアーズを発足させたか II章 活動記録分析 年毎の活動記録, III章
グリークラブアルバムの研究 各曲編 25. 柳河
本来は「グリークラブアルバムの研究 日本曲編」の最後だが,長文になったため別項目とする。25. 柳河作詩 北原白秋作曲 多田武彦 グリークラブアルバム日本語編のラストは,やはりこの曲。組曲「柳河風
グリークラブアルバムの研究 日本曲編
20. 帰ろ 帰ろ作詩 北原白秋作曲 山田耕筰編曲 福永陽一郎 ここからしばらく日本語の曲になる。この曲は北原白秋作詩・山田耕筰作曲と,「童謡・唱歌のゴールデンコンビ」の作。大正14年(1925年)4
「流浪の民」と「薩摩潟」
以前,「合唱という言葉はいつ頃から使われたか?」に,シューマンの「流浪の民」は明治40年に石倉小三郎が現在も使われている訳をつけるまえは,鳥居忱の創作訳で「薩摩潟」として歌われたことを紹介した。「明
合唱組曲の誕生と普及
本当は一つの記事にしたかったんだけど,長すぎるのかホームページにふまくあっぷすることができない。なので,ここに順にリンクを張ります。 お手数ですが,順に飛んで読んでください。
「カワイ合唱名曲選」の表紙デザインと古代ペルシャ(エラム)
昨日,ちょっと強引に合唱(音楽)と古代ペルシャを結びつけた。昭和40年台にたくさん出ていたカワイ楽譜の「カワイ合唱名曲選」,一曲ごとや短い組曲ごとに売られていたピース形式の楽譜表紙に楽師の隊列が描か
グリークラブアルバムの研究 各曲編 宗教曲編
15. Kyrie eleison (キリエ・エレイソン)典礼文作曲 デュオウパ編曲 林雄一郎 この曲については,別に研究成果をまとめた。
戦前関東の男声合唱連盟
(1). 戦前の東京六大学合唱連盟 前記事では,昭和初期に関西学生合唱連盟が活動し,それが関西合唱界のレベルを統制した,という長井の見解を紹介した。ではそのころ関東(東京)の状況はどうだったのか? 東
戦前の合唱雑誌「メロディー」
以前,「『日本合唱連盟』と『合唱の友』」という記事で「おそらく日本で最初に出版された合唱専門雑誌であろう『合唱の友』」と書いた*。「おそらく」と書いたのは,それ以前,戦前にあった可能性を考慮したか
Orphéons(オルフェオン)について
「Albert Duhaupas “ MESSE SOLENNLLE”の研究」の補足としてブログでは「Albert Duhaupas “ MESSE SOLENNLLE”の研究」の補足編として続きに書
Albert Duhaupas “ MESSE SOLENNELLE”について
「グリークラブアルバムの研究」 当初は「グリークラブアルバムの研究 宗教曲編 Kyrie eleison デュオウパ作曲」として掲載の予定だったが,謎が多い作曲者とこのミサ曲について調べて
グリークラブアルバムの研究 諧謔曲編
10. 権兵衛が種まく作詩 河原馨風黒人霊歌 「権兵衛が種まく」については,既に研究成果をまとめている。ブログにもあるが,ホームページの方は情報をアップデートしているので,詳しくはこちらを参照下さい。
追悼 多田武彦先生・日下部吉彦先生
2017年12月12日多田武彦先生が,2017年12月30日日下部吉彦先生が亡くなられた(以後,恐れ多いが敬称略)。多田は作曲,日下部は評論や指揮を中心に,日本の男声合唱史に,めまいがするほど巨大な
「日本合唱連盟」と「合唱の友」
2018年1月現在,合唱の専門誌は全日本合唱連盟が発行する機関紙「ハーモニー」しかないが,昭和40年前後の最盛期には月刊誌として「合唱界」「合唱サークル」の2誌があり,さらに「旬刊 合唱新聞」が発行
スメタナの男声合唱曲
2017年に開催されたミュシャ展に行って感銘を受けた。スラヴ民族という捉え方と絵の迫力。陳腐な言い方だけど,スラヴ的哀愁とでも言おうか。ビデオコーナーで流されるスメタナのモルダウにもそれを感じた。
グリークラブアルバムの研究 各曲編
2017年6月に「グリークラブアルバムNEXT」が発売されることがアナウンスされ(3月予定が4月に変更になり,更に6月になった),従来のグリークラブアルバム1・2・3は廃版になりそうだ。入手できるう
グリークラブアルバムの研究 レパートリー編
総論ではグリークラブアルバムの愛唱曲集としての特長について,グリークラブアルバム以前の男声合唱曲集と比較してまとめた。結果的にこのポジショニングが成功したわけだが,そもそも愛唱曲集とは何であるかとい
グリークラブアルバムの研究 (総論)
序 グリークラブアルバム(以下,断りがない限り「グリークラブアルバム」とは現在の「グリークラブアルバム1」,赤本のことを指す)は,福永陽一郎と北村協一の共編になる男声合唱曲集で,1959年(昭和34年
合唱という言葉はいつ頃から使われたのか?
合唱が好きな人は,その理由は様々だろうけど,特に人の声が醸し出すハーモニーに惹かれている人が多いのではないか。私もその一人で,何かの集会での歌声を新聞やテレビが「二百人の大合唱」などと報道するたびに
「権兵衛が種まく」の研究
(「グリークラブアルバムの研究」から) わずか7小節の他愛もない作品だけど,日本男声合唱史において興味深い曲。まだはっきりしないこともあるけれど,抱えていても仕方がないので,分かったことをまとめていく
男声合唱曲「U Boj!」の謎
ズリンスキー総督によるトルコに対するシゲット防衛(部分) 1970年代の半ば,大学のグリークラブに入部すると,年度の練習曲以外に愛唱曲を練習する時間があった。「遥かな友に」とかウェルナーの「野ばら」
日本男声合唱史研究
最も古い邦人男声合唱曲は何か?
明治になってたくさんの合唱曲が輸入されたが,日本人が作曲した初めての合唱曲は,瀧廉太郎が明治33年(1900年)に出版した「四季」に含まれる三曲とされている。もちろん,東京音楽学校では習作がたくさん
男声合唱組曲「草野心平の詩から」を巡って
男声合唱組曲「草野心平の詩から」は,多田武彦氏(以下敬称略)が作曲した百を超える無伴奏男声合唱組曲の一つである。このようなタイトルの記事を読もうという読者には,説明不要のことでしょう。 私は多田武彦
日本の男声合唱