男声合唱のトーン

  2014-11-21

 私が男声合唱に打ち込んでいた70年代半ばから80年代半ばにかけて,最高峰に君臨していたのは東西四大学,つまり早稲田大学グリークラブ,同志社グリークラブ,慶応義塾ワグネル・ソサイエティ男声合唱団,関西学院グリークラブだった。この四大学は音楽的に特長があるたけではなく,一聴でどの団体が歌っているかがわかる,明確なトーンの違いがあった。さすが最高峰の四大学,各々に個性があった。簡単にまとめると,ベースの関学,テノールの同志社,バリトン四重唱のワグネルである。 早稲田については後で述べる。

 この頃の関学ベースの凄さは,空前絶後のレベルに達していた。もともと,戦前・戦後を通じて合唱コンクールで何度も三連覇をなしとげた関学の強みは柔らかいハーモニーで,根幹を作るベースが他団と一線を画した存在だった。ベースの響きが合唱全体を柔らかいハーモニーで包み込む。この演奏スタイルは「完璧」だったがゆえに逆に批判も浴び,「トンネルの中で歌っているよう」「壁を塗るようなのっぺりしたハーモニー」などと揶揄された。

 少し話がそれるが,これが「トンネルの中のハーモニーか」と思われる演奏を,以前は聞くことができた。それはワグネルのホームページで,過去の東西四大学の演奏が公開されており,ずいぶんと楽しませてもらったが,その中で第10回のエール交換で聴いた関学の学歌は忘れられない。同じホールで同じ技術で録音されているのに,関学の演奏だけが違っており,柔らかなハーモニーが演奏中途切れることなく鳴り響き,まるでオーラをまとっているようだった。縦も横もきっちり揃い,純正調の和音感覚で演じられて初めて達成できるトーンで,関学のたゆまぬ練習の賜物である。

 これを支えるベースは,北村協一氏の就任後に更に重厚な形に磨き上げられた(北村氏がそう構築したのかは明らかではないが,印象としてはそうである)。かなり意図的に音色が作り込まれており,例えば「う」の母音は「お」に近く,テナー系と異なる。この深いベースの音色の特色は,鼻腔共鳴で響きを支えている点にある。例えば,釣り鐘は地面において突いても鈍い響きにしかならないが,吊るされると四方に響き渡る。このつり上げを担っているのが鼻腔共鳴で,特に高音部の鳴らし方が上手い。並のベースは高音部でフラットしないように響きが浅くなるのだけど,深い音色のままで鳴らしているのが秀逸だった。

 同志社のテノールは,関学ベースに対するアンチテーゼとして,これも意図的に作られたらしい。日下部吉彦氏は「関学スタイルが反発を感じ,"線"の楽しさが感じられるように,テノールにベル・カント唱法をとらせた」という主旨の発言をされている。確かに,同志社のテノールはきれいな頭声で,声に贅肉がなく,ほとんど響きだけで歌っているようにさえ感じられた。知っている曲でトップの高音があるところなど,「鳴るぞ鳴るぞ」と期待していると,そのとおりの響きを鳴らせてくれる,安心して聞ける美しいテノールであった。同志社と言い関学と言い,独自のトーンを毎年大きくは変わらずに鳴らし続けるところに,伝統の重みを感じたものだ。

 ワグネルは,恐らく各個人の発声としては最もトレーニングされているように思う。しかしというか,それゆえにと言うべきか,トップはハイバリトン,ベースがローバリトンが歌っているバリトン四重奏のように聞こえた。恐らく,トップからベースまで一体となった発声トレーニングがあり,また音色を作り込まない(パート事にあまり差をつけない)によりそうきこえるのだろう。関西にいて,普段から関学や同志社の演奏に触れているので,余計にそう感じる部分もあるのだろうが。良く共鳴した統一した発声によるワグネル・トーンは,確かにドイツの曲に良くマッチしているように思う。母音がよくそろっているところも,そう感じさせるのだろう。

 さて,早稲田は他の3団体と比べると,声は力強いのだけどハーモニーが薄いように感じられた。他団とボイストレーナーが違うことや,私が関西にいるため東西四大学で2年に1ステージしか聴いたことがないことや,ピアノ伴奏付きの曲しか聴いたことがないことや,毎回指揮者が違うことなど,他団と違う要素がいろいろあるのだけど,それにしても発声やトーンの上で感心したことが余り無かった。他団と比べて,発声にせよ母音にせよ,揃えるという点ではトレーニングが充分ではなく,声楽的にビハインド感があった。どちらかと言えば,選曲や指揮者がはまり「燃えた」場合に感動的な演奏を聴かせる団体のようだ。そういう意味でアマチュアイズムを最も多く持っている,という印象。

 とまあ,好きなことを書いたが,私の属していたグリークラブはこんなハイレベルでの比較には全くならない,弱小クラブ。羨望をもって聴いていた4団体で,演奏会のたびに「ああ,また○○トーンが聴ける」と楽しみにしていた中で,当時思っていたことを記してみた。


日本男声合唱史研究室

日本における男声合唱史の研究 Study on male chorus history in Japan 主として明治期から1980年頃までの,日本の男声合唱について資料調査したことを中心にアップしていく予定です。いわば,私家版の「日本男声合唱史」を作る試みです。 タイトルは思い切り気張ってみました(笑)。 2024年4月15日から「無料プラン」の仕様が変わるため,構成を組み替えました。

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