なにわコラリアーズ 第23回演奏会
2017年5月6日に大阪の「いずみホール」で開催された演奏会を聴いてきた。これで3回目,だいぶ「なにコラトーン」も聴き慣れてきた。ホールの関係かも知れないが,過去2回の演奏会とくらべてトップが個人芸におぶさらず,最もパートとしてきこえた。
第1ステージは松下耕の「罰と罪」,第2ステージが「Robert Shaw Traditional Songs」,第3ステージが「シューベルト男声合唱曲集」,第4ステージが大島ミチルの「御誦」,第5ステージが「アラカルト~あなたの知らない男声合唱」と盛りだくさん。週1回の練習を原則とする一般合唱団が5ステージの演奏会を持つことが凄い。その上どのステージも演奏のレベルが高く,百戦錬磨の団員がいることにもよるのだろうが,練習密度の濃さが伺われる。人数は52-55人ぐらいで,少なからぬ人が暗譜で歌っているのも感心を通り越して驚き。
今回の演奏会,パンフレットにもそれらしい記述があるけれど,日本の男声合唱史をおさらいしている趣もあり,その点を中心に感想を書いていく。
第1ステージは松下耕の「罰と罪」(宗左近詩)は2015年にできた曲で,関西初演。詩は3曲を通じて「罪」「殺」「罪と罰」「罰と罪」「生死」「因果」「存在」「罰」「愛」「悪」と繰り返しその意味を問いながら展開していく。日本語のフレーズを放り出さずにきちんと歌うのがこの合唱団の凄いところだが,聴きながら意味を理解することは,残念ながら自分にはできなかった。前述のように心に刺さってくることばを聞き取り,音として表現される各々の概念を感じるのはかなり重たかった。しかし,最後に出てきた「美しい花」で救われた。そういえば,昨年の曲目「岬の墓」もそういう構図だったな。
第2ステージの「Robert Shaw Traditional Songs」,伊東さんがステージで語られたように今では合唱団のレパートリーとして取り上げられないようだけど,1960年台は「Robert Shaw合唱曲集」と題したステージが結構あり,このステージのように各国の民謡が男声合唱で歌われた。1970年台になると彼の編曲ものでは「Sea Chanties」に人気が移り,「民謡編曲」はアンコール等で1曲歌われる程度になり,まとまった形で民謡が演奏されることはほとんどなくなった。
これらの曲はRobert Shaw合唱団演奏のLPも出ていて,この日の曲目を収めたものは1954-60年ごろに発売されている。アメリカ民謡でない曲が多いのに,編曲が1950年台のためか,今日の演奏でも「古き良きアメリカ」という香りが立ち上ってくるのが面白い。一曲だけ日本語訳で歌われた「Du, du liegst mir im Herzen (君,恋し君)」もそうだった。編曲にもその時代の雰囲気のようなものが反映されるということか。また,合唱団が楽譜を忠実に再現しているということでもあるのだろう。
第3ステージの「シューベルト男声合唱曲集」,シューベルトの男声合唱曲の中でも特によく歌われる曲を集めたもの(最後のGott meine Zuversicht (詩篇23)は本来は女声四部合唱曲だが)。演奏として不可のところはなかったが,私の好みとしてトップがもう少し柔らかい響きのほうが良かった。また,Der Gondelfahrerは ,ベースの動きがもっとクリアに刻まれたほうが良かったと思う。
昔はシューベルト・シューマン・メンデルスゾーンなどドイツロマン派の曲が多く演奏されていた。1970年台も後半になると頻度が減ってきて,神戸中央合唱団の中村仁策先生が「なんでみんな,キラ星の如き名曲揃いのロマン派の曲を歌わないんだ」と嘆いておられたけど,最近はどうなんだろう。
第4ステージの大島ミチルの「御誦」は実演で聴くのは初めてだったが,今までCD等で聴いていたのとは全く別物だったので驚いた。パーカッションが加わり,立体的な音空間が立ち上がる。アルトソロが加わると,プロの発声と母音は深々としており更に奥行きが増す。なにわコラリアーズは,ここでは音素材の一つであり,主役ではない。ピアノ・パーカッション・アルトソロと同格に音空間を作り出す存在であった。印象としていうなら,平面的な広がり(舞台の左右と上下方向の平面)を担当しているように感じた。けなしているのではなく,そうあるべき位置に収まっていたという意味である。伊東さんが珍しく指揮棒をもっておられたのは,パーカッション向けにリズムを明確にすることと同時に,全体をそのように捉えておられたからだろうか。
「御誦」は,現在歌われるピアノとパーカッション伴奏版の前に,ヤマハ主催の「第19回エレクトーンフェスティバル全日本大会」で「男性合唱とアルト独唱、GS-1、パーカッションによる組曲『御誦』」とエレクトーン伴奏版があり,新月会により演奏されている(そのため,ピアノ版の楽譜もヤマハ音楽振興会から出ており,近々復刊される)。実は更にその前に,3楽章からなる「交響曲第一番『 御誦 』」が存在する*。大島氏が国立音楽大学作曲科在学中に作られたらしいが,混声合唱付きであり,現在の「御誦」のモチーフも散見される。合唱曲に再編する際,交響曲の立体的な音空間を活かすように配慮されたのだろう。その際に,北村協一氏からアドバイスを受けたと楽譜に記されている。今日の演奏は実に立体的で,なかなか得難い合唱曲であることを実感した。
* ニコニコ動画で聴くことができる。
第4ステージは「アラカルト~あなたの知らない男声合唱」と,いつものように珍しい曲が盛り沢山。1曲目の「ひとつの朝」は,昭和53年度(1978年度)のNHK全国学校音楽コンクールの課題曲で,出身校の合宿で後輩たちと歌い,とても良い曲だと感動した思い出がある。男声版で聴いたのは初めてだけど,混声のほうがよくできていると思うのは刷り込みか。
ラトビア民謡の「MIRDZI KA ZVAIGZNE」はとても美しく歌われ,一緒に歌いたくなった。最後に歌われた,HolstのJupiterに詞をつけRandall Stroopeが編曲した「Homeland」。これも本当に美しく,最後は涙が出そうになった。Stroopeは混声の「Lamentations of Jeremiah」を聴いた時に作風が好きになったけど,この曲にもいかんなくそれが発揮されていた。
この曲を聴いている時に連想したのが「Going Home」。ドボルザークの交響曲「新世界より」の旋律を用いた「家路」として知られているが,共通するものがあると思っていたら,アンコールで演奏してもらえたので感動の二乗。
「グリークラブアルバム」の最終曲でもあり,「グリークラブアルバムの研究」で記そうと思っていたのでけれど,簡単にまとめると,「Going Home」はドボルザークの弟子William Arms Fisherが1922年に「新世界より」に着想を得て作曲(編曲?)した。一説には初演を聴いて着想したとも言うが,初演は1893年なので本当に30年も温めたのかは疑問。日本での初演は,恐らく昭和2年(1927年)11月26日の宝塚交響楽協会主催の合唱競演会における大阪外国語大学グリークラブによる演奏。初演の5年後のことである。その後ひろく歌われたようで,清水脩は「学生の男声合唱団がこぞって歌った」「ハーモニーは何でもない簡単なものだが,あの魅惑的なメロディーをのせたハミングは,男声合唱の醍醐味を充分に味わせてくれる」と記している。昭和14年(1939年)には瀬沼喜久雄訳の「家路」と題した女声三部合唱譜も出版されている。「家路」と題された初期の例である。「Going Home」の楽譜は今でも簡単に入手できるが,音として聞かせてもらえたのは嬉しかった。
演奏に関することを余り書いていないけど,これは余分なことが気にならずに曲に集中できたことを示しており,これだけの演奏を聞かせてもらえることはありがたい事だ。来年の演奏会も5月6日に開催されるらしいが,来年は予定があって聴けないのが残念。
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