ジョーゼフ・ジョルダーニア「人間はなぜ歌うのか?」

 副題は「人類の進化における『うた』の起源」。ここで「うた」とはポリフォニー,多声音楽のこと*。合唱と言ったほうが分かりやすいが,この本では作曲家が作った曲ではなく,民衆の間で自然発生的に歌われてきた歌を扱っている。そして,この合唱が人類の進化とどう関わってきたか,大胆な仮説を提唱しており,合唱と人類進化史が大好きな私のために書かれたような本。著者ジョルダーニアはポリフォニーに焦点を絞った研究を長く続けた人で,ポリフォニーが世界にどのように分布しているか(地理的な広がり)から,初期人類の歌を推測し,それがどのように現在における世界各地のポリフォニーのありようになったか(時系列の展開)について面白い仮説を提示する。

 * ポリフォニーは,西洋中世における宗教音楽のある形態を指して使われることが多いが,ここではそうではない。


 まず,ポリフォニーのタイプを5つに分け,単旋律のモノフォニーを加えて,世界の分布図を示す。これが実に有用で,小泉文夫さんの本や民族音楽のCDをきくことで世界には多様なポリフォニーがあることは耳でわかるが,視覚的に整理されると地域による差が明確で,確かに著者が主張するように人類史との相関が伺える。

 現在では,アフリカと東ヨーロッパがポリフォニーの盛んな地域で,日本や中国などアジア圏はモノフォニーが主体的であることが示される。その中で,アイヌのポリフォニーは,世界の中で最も孤立したポリフォニーの一つとして紹介されている。一方,インドネシアのケチャはほとんど言及されていない。芸能山城組の「模倣演奏」で分かるように,かなり高度なポリフォニーだと思うのが。

  次に,1180年代以降のポリフォニーに関する記述や研究を年表として示す。素人には十分すぎる情報量で,どのような記録と考察が行われてきたか,網羅的に眺めることが出きる。西洋では長らく,ポリフォニーは西洋の発明とされてきた(モノフォニーからの進化形)。シャレのようだけど,18世紀にポリネシアのポリフォニーがヨーロッパに知られたとき,衝撃が走った。音楽知識の積み上げや体系化があって生み出されると考えていたポリフォニーが,「野蛮人」に作れるはずはない,と。その後,アフリカなどでもポリフォニーが「発見」されるにつれ,見直されていったが,ポリフォニーを進化した音楽とみる見方は,もしかすると現在でも残っている*。

 * 16世紀のキリシタンの時代,天正遣欧少年使節は「我らの(日本の)音楽には音が一つしかない」と当時の西洋的価値観に「教育」された感想を述べている。


 しかし,著者が調べたところではポリフォニーが消滅した記録は多数見つかるが,逆にモノフォニーがポリフォニーに「進化した」例はみつからない。「進化」の過程にある例としてあげられるヘテロフォニーはポリフォニーより新しい現象であり,また,モンゴルのホーミーのような倍音唱法は古代ヨーロッパのポリフォニーと東アジアのモノフォニーが混淆したものと考えられることが示される。

 小泉文夫氏の著作では,村の人々が集まって普通に歌うときはポリフォニーであり,村長の統率で歌うときはモノフォニーである例が示されているが,どうやら人間の歌の古い形がポリフォニーであるらしい。

 では,なぜポリフォニー,和音を伴う歌唱が起こったのか? 著者の仮説は極めて面白い。それは,狩りができる前の初期人類はライオン等が狩猟した獲物を横取りするスカベンジャーであり,「食事をしている獣の群れに近づき,集団でリズムをとりながら大声で叫び,地面を踏み鳴らし,太鼓を叩き,手拍子を打って,体を威嚇的に動かし」て彼らの獲物を奪った,というのだ。その際「和声で歌うと,響きが大きくなる」「実際より参加者が多いように見える強い響きが生じる(ボー・ジェストBeau Geste効果として知られる)」ために合唱が必要だった,とする。つまり,合唱や歌はゆとりある生活の楽しみとして生まれたのではなく,生きる糧を得るため欠かせない技術だった,ということになる。

 この仮説が正しいのか,証明はなかなか難しそうだけど,以前書いた島泰三「ヒト -異端のサルの1億年-」にも,ハンドアックスという多く見つかる大型石器は使用された跡がなく用途が不明だが,ライオンを威嚇して獲物を横取りするためではなかったか,と仮説が出されており,ジョルダーニアの仮説と一致する。今後の研究に期待する。

 この本,人類進化論やコトバと音楽についても面白い記述がたくさんある。興味ある方なら,賛否は別として,読んで損はない。

日本男声合唱史研究室

日本における男声合唱史の研究 Study on male chorus history in Japan 主として明治期から1980年頃までの,日本の男声合唱について資料調査したことを中心にアップしていく予定です。いわば,私家版の「日本男声合唱史」を作る試みです。 タイトルは思い切り気張ってみました(笑)。 2024年4月15日から「無料プラン」の仕様が変わるため,構成を組み替えました。

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