関西学院グリークラブ 120周年記念フェスティバル

 2019年9月29日に関西学院中央講堂で開催された「関西学院グリークラブ 120周年記念フェスティバル」を聴いた。80周年に伺ったので,40年ぶり。その時は広瀬さんが関西学院の学指揮だったから,月日が経つのははやいもの。


 開場の15分前に着いたら,すでに開場していた。暑い日に長蛇の列ができたので早めたか。おかげで列で待つことなく,ほぼ希望する席に座れた。大盛況だったけど,立ち見のお客さんもかなりおられ,ご苦労さまでした。


 ステージは6つ,「中等部グリークラブ」「高等部グリークラブ」「混声合同ステージ ウボイ伝承100周年記念」「新月会」「関西学院グリークラブ」「男声合同ステージ ”Messe Solennelle”荘厳ミサより」。最初とステージの間に順次,全員で校歌「Old Keansei」「空の翼」「緑濃き甲山」「A SONG FOR KWANSEI」が演奏された。個人的にはコンサートで聴く「A SONG FOR KWANSEI」が好きだけど,「Old Keansei」もなかなか。「Banzai, Banzai, Kwansei ! 」は昔はもっとなんというか,力のこもった本当に万歳という歌い方だったのでは,と思いながら聴いていた。

 80周年のときは,中等部・高等部も男声だったけど,共学化に伴い,中等部は女声,高等部は混声の演奏だった。発足した「関西学院ウィメンズ・グリークラブ」は部員4名のうち2名が留学中とのことで,単独ステージは残念ながらなし。フェスティバルを通し,後述の1曲以外は全て無伴奏で,関西学院グリークラブファミリーの矜持を感じた。


 中等部は女声9名で木下牧子の無伴奏女声合唱曲を4つ。私は中学女声のアカペラを聴くのは初めてだけど,変に大人すぎない発声に好感。テンポの早い曲の楽しさと,しっとりした曲の対比がとてもよかった。最後に歌われた「おんがく」は心に染みた。


 高等部は混声,女声21人男声9人で3曲。こちらも声が素直で聴きやすい。2曲めのLaudata Dominum (Gyöngyösi Levente作曲)はコンクールの自由曲なのか,歌いこなしも十分で惹きつけられる演奏だった。


 第3ステージは「混声合同ステージ ウボイ伝承100周年記念」。関学伝承版,作曲者ザイツの混声四部合唱「アヴェ・マリア」,そしてオペラ版(ピアノ伴奏とソロ付き)が全て混声でうたわれた。女声が全員で30人,たぶん150人はいるだろう男声とのバランスはよくないけど,ここはそういう野暮を言う場ではない。先走るが,アンコールでは同じ編成でオリジナル合唱版が歌われ,「3種類のU Boj」を一日で聴くことができた。これは眼福になぞらえれば耳福という経験で,同じメンバーで歌われたことに敬意を表する。

 ステージ上方のスクリーンに,この曲のなりそめや原曲の探索などがビデオと写真で示された*。会場にはクロアチアとチェコの特命全権大使,スロバキアの大使館関係者が来場されており,関係国をつなぐ役割を果たしていた。


 せっかくの機会なので,私がつねづね不思議に思っている「なぜチェコスロバキアの軍隊が,クロアチア語の合唱曲をそれほど愛唱していたのか」が話し合われていたら嬉しい。

ホームページに以下を記したけど,これしか可能性がないと思う。

「この曲(オペラ)が作曲された19世紀後半から20世紀にかけて,クロアチアはハンガリー王国に属しており(限定的な自治はあったようだ),チェコとは別の国である。」

「行き詰まっていた時に,クロアチア語とチェコ語の関係についてネットで調べていて,興味深い文献を見つけた。東京外国語大学准教授である金指久美子氏の論文「チェコ共和国の言語状況,言語政策および外国語教育」に,当時のチェコにおけるクロアチア語の位置づけが書かれている(注11)。

11) http://www.tufs.ac.jp/common/fs/ilr/EU/EU_houkokusho/kanazashi.pdf

 該当箇所を引用する。「1934年に出版されたチェコスロバキア誌研究第3巻『言語』には,クロアチア語もマイノティの言語として取り上げられている。それによると,16世紀に戦乱を逃れてクロアチアからやってきた人々の子孫が住む集落がチェコ領内(南モラヴィア)とスロヴァキア領内(西スロヴァキア)に点在していた。(中略)1930年代前半の段階で,クロアチア語からドイツ語への切り替えが進み(中略) 1948年にはクロアチア系の人々も強制的に退去させられ,集落が崩壊した」

 つまり,U Boj!が日本に伝えられた1920年ごろには,チェコ領内にクロアチア語を話す人々がおり,彼らは16世紀に,恐らくは歌劇の題材となったオスマントルコ軍の侵攻時に,クロアチアからチェコに避難してきた人々の子孫であるいうことだ。」

https://male-chorus-history.amebaownd.com/posts/1332525


 これを書いた時は,これらの集落からチェコ軍に参加した人が何人かいたのだろうと考えたが,軍隊の性質を考えると同じ言葉を話す人々を集めたほうが指示が間違いなく伝わる。もしかすると全員クロアチア語を話す集落から来た人々だったのかもしれない。

 パンフレットには93才の林慶治郎さん(林雄一郎氏の弟で,DuhaupasのKyrieなどを初演された方)のお言葉があり,戦争中はU Bojは「戦線へ」のタイトルで歌われ,先輩や上級生を送り出す歌であったことが記されている。西南学院グリークラブの「いざたて戦人よ」と同じような位置づけだったようだ。


 第4ステージは新月会の黒人霊歌,安定のレパートリーである。昔からある編曲で歌われた。日本の合唱団は,黒人霊歌をどんな編曲でどう歌うか,そろそろ見直す時期かもしれない。


 第5ステージは関西学院グリークラブ,斎太郎節やシベリウスの合唱曲,Aladdinのメドレー。いや,上手い。ハーモニーのオーラを常にまとって歌うさま,他団にはなかなかまねができない。東西四大学の時は人数減ったかと心配したが(私が心配することではないけど),70名ほどのオンステ。斎太郎節は,東西四大学では早稲田大学グリークラブの十八番となっているが,元は関西学院が東北演奏旅行で紹介され昭和30年代後半にレパートリーとしていた。東西四大学の合同ではなく単独で聴けたのはよかった。LPでしか聴いたことがなかったので。


 第6ステージはAlbert Duhaupasの荘厳ミサ,Kyrie,Gloria,Agnus Dei。これも日本初演から70周年。関西学院グリークラブが日本に紹介した海外の曲として,U Bojとともに最重要な曲。東西四大学でグリー単独が演奏したが,この日は新月会と合同。このミサは若かりし日に一年間歌いこんだので,どうしても頭の中に音が鳴ってしまう。個人的には困り物で,普通にフラットに聴いてみたい。


 アンコールは前述。改めて,U Bojは関西学院グリークラブファミリーの軸,120年の歴史を束ねているなあと感じ入った。この日の感動を味わった女声は,大学でウィメンズ・グリークラブに入ってもらいたいなあ。

以上

日本男声合唱史研究室

日本における男声合唱史の研究 Study on male chorus history in Japan 主として明治期から1980年頃までの,日本の男声合唱について資料調査したことを中心にアップしていく予定です。いわば,私家版の「日本男声合唱史」を作る試みです。 タイトルは思い切り気張ってみました(笑)。 2024年4月15日から「無料プラン」の仕様が変わるため,構成を組み替えました。

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