第84回関西学院グリークラブリサイタル

2016-02-22

 昨年に引き続き,リサイタルへ。去年は30年ぶりぐらいに合唱の世界に復帰して,その変化にワタワタしたところがあったけど,あれからいくつかコンサートに出かけ,また,全日本合唱コンクールのDVDも観て,昨今の合唱を少し理解してきたのでその視点から聴いてみた。


 座席は,前年は1階のかなり前側のトップよりだったので,今回は3Fと後ろの方のベース側から聴いた。自分はベースなので,ベース側から聴くのが好きだ。冒頭のA Song for Kwansei,意地悪な聴き方をすると毎年同じ曲を演奏してくれるので,その年の実力がイメージできる。今年は,少し緊張していたのか,響きが固い印象。また,昔はエールでも「俺たちにかなう合唱があるか,どんなもんだいフン!」という感じがあって(もちろんそんな事は思っておられない,聴く方のひがみである),特に最後のknownのnで鼻腔共鳴を響かせまくっていたのだけど,そんなこともなく,端正な演奏だった。


 第1ステージ,本山先生の指揮で「マジャールの大地から」と題したコダーイのステージ。コダーイは昔歌ったので,ハンガリー語がきちんと発音されており,歌った事がある曲については難しかったところがきちんとできているのはさすが。フレーズも本山先生らしく細部まで行き届いた演奏だった。が,声がまだ固いせいか,余りに整えたせいか,マジャールの大地の息吹が感じにくい演奏でもあった。昔LPで聴いたハンガリー陸軍男声合唱団の演奏は遙かに粗野でハーモニーも濁っているが(軍隊だから粗野というわけではないだろうが),異国の香りが匂い立ってくるような感じだった。民謡側にべっとりくっつくか,譜面になった以上はインターナショナルな音楽と捉えて正統的な西洋音楽の手法で演奏するかの選択において,今回は後者のスタンスだったのだろう。


  第2ステージは学生指揮者の横山さんが振る「ユーミン名曲セレクション」。ポピュラーステージかと思いきや,実に凝った編曲で,編曲者の下園大樹さんがいう「『ユーミン×男声合唱』という一見すると水と油のような関係にある音楽の融合」がかなりうまくいっていて,面白く聴けた。関学がバーバーショップを普段からレパートリーにしていて,ポップスのリズムやハーモニーになれている事もあるのだろう。しかし,私のように荒井由美の頃からのリアルタイム・ユーミン世代には,どうしてもユーミンの歌唱が被ってきて,違和感が消えなかった。ユーミンの歌と歌声に紐付けられた個人の思い出が,関学の歌声ではうまく蘇らないので,内心がもやもやするのだろう。これは関学の責任でも編曲の責任でもなく,個人のバックグラウンドが音楽に不調和だったということ。中島みゆきの歌を合唱編曲した場合も同じことを感じる。例えば彼女たちの歌は,自分にとっては合唱とは違う世界で楽しんできた音楽だからかもしれない。


 第3ステージは新月会や高等部グリークラブと合同で多田武彦の男声合唱組曲「雪明かりの路」を,広瀬先生の指揮で。200人ぐらいの大人数になっても,ほとんど乱れないのは,だだ感嘆あるのみ。ふつうは音が濁ってハーモニーではなくなるのだけど,普段からハーモニーの感覚を厳しく鍛えているのか,大人数でもハモる。新月会にはかなりご年配の方々もおられるけど,今なお音感を維持されているのは驚き。演奏も非常に正統的で,かつては「多田・北村・関学」の三位一体世界が他団の多田作品演奏とは別世界にいたのだけど,「多田・広瀬・関学」もそんな感じがする。

 個人的には,還暦近くなって聴くこの組曲は,若い頃に聴いたり歌ったりしたときとは,感じが違う。共感が浅くなったのは,伊藤整も多田武彦も若い頃の作品だからだろうか。昔,この組曲が初めて東京で演奏されたときに,「退屈」とした評論家がいて,多田と雑誌上での論争というか,往復書簡での言い合いになったことがあった。伊藤整が感動してくれただけに,多田としてはけちを付けられて引けなかったのだろうけど,少しだけその評論家の気持ちが分かる。たぶん,かなりお年をめされた方だったのだろう。これも第2ステージと同じく,全く個人的な状況を反映した感想である。


 休憩を挟んで第4ステージは広瀬先生の指揮で「"GO DOWN, MOSES" gospel & spiritual」,バーバーショップのステージである。広瀬先生はバーバーショップに打ち込んでおられる,その志と熱気がそのまま現れたかのようで,もっとも生き生きとして豊かなハーモニーが鳴っていた。指揮者の思いそのままに,今の関学にはバーバーショップが合っているのかもしれない。北村ワールドの真骨頂が多田武彦作品であったように。


 第5ステージは,横山さんが振る組曲「月光とピエロ」。7年越しの思いが実現したステージだそうで,昨今では現役学生がほとんど演奏しなくなったこの組曲を取り上げた見識は素晴らしい。

 この組曲が日本に普及したのは,その完成度もさることながら(後年の清水脩は,日本語の処理に「今だったらああは書かない」など反省していたけれど),福永陽一郎先生が東京コラリアーズを指揮されて日本国中で300回以上演奏され,また雑誌の付録に楽譜がついたことも大きい。「頼まれでもしない限り日本の合唱曲など歌わない」日本の合唱団が,楽譜があり音を聞く事によって,日本の曲を多く歌い始めた最初の例である。一方で,福永先生が多数の演奏経験を経て磨き上げたこの組曲は,同志社グリーが数々の歴史的名演を残し(「福永はフルトベングラーを思わせた」の評があった。福永先生はこれに対し「私はフルトベングラーを思わせるより,福永陽一郎として最高でありたい」ともっともな事をいわれている),畑中良輔先生も慶應ワグネルを指揮して名演を残されたが故に,普通の合唱団には近づきにくくなったのも事実。なんとなく,この組曲を演奏すると,合唱団の格というか,音楽に対する取り組み姿勢が露わにされるような,そんな位置づけにある。

 関学も北村先生の指揮で何度か演奏し,LPに収録されたものもあるが,盤石の安定感でピエロの世界を描いていた。今回の演奏も,音響的な安定感の上に,丁寧にフレージングを作り込んだ箇所ではピエロの悲劇的な側面が,やや粗っぽく仕上げられている箇所に喜劇的な側面がうまく表現されていて,面白く聴く事が出来た。7年間の思いは,見事に結実していたと思う。


 個人的な思いに集中できなかったところもあるけど,このリサイタルはさすが関学という以外にない,素晴らしいものだった。その上で,関学だから考えて貰いたいのは,日本の男声合唱は今後どんなスタイルで行っていくのか,ということ。

 昭和に入って,林雄一郎先生が確立された極致的完成度のアンサンブルと純度の高いハーモニーは,コンクールでの連勝を通じて他団の模範となり,日本の合唱レベルを引き上げた。それが故に「のっぺりしたハーモニー」「何を歌っても同じに聞こえる」と批判されもしたが,今度は慶應ワグネルと共に発声を改革し,北村先生が音楽的表現を高められた(ハーモニー優先の時代に音楽がなかった,という意味ではない)。今はどうやら,本山先生はベースの声を掘らさずに全体のピッチを高く正確にくとってハモらせることを志向されているようだし,広瀬先生はあの大人数でもバーバーショップが生き生きと歌えることを軸にしておられるようにみえる。

 しかし,これらは共にヨーロッパやアメリカで行われているスタイルで,悪くいえば後追いで,せいぜいよく言っても二番煎じ。トップには立てない。勝ち負けではないかもしれないけど,勝てない。どんなスタイルが,発声から音色からフレージングから,これが日本の男声合唱として示しうるのだろうか? 上手い事は上手いのだけど,エールのところで書いたように,以前のような圧倒的な自信,日本で最高の男声合唱はこれだ,という気概が余り感じられないところである。

 そういうのは,今風ではないのかもしれないけど,常に日本の男声合唱の規範であり,標準原器でもあった関学に,どうしても期待したい。いや,どんなに上手い団であったとしても,他団には期待できない。関学にしか乗り越えられない壁だと思う。期待しています。


日本男声合唱史研究室

日本における男声合唱史の研究 Study on male chorus history in Japan 主として明治期から1980年頃までの,日本の男声合唱について資料調査したことを中心にアップしていく予定です。いわば,私家版の「日本男声合唱史」を作る試みです。 タイトルは思い切り気張ってみました(笑)。 2024年4月15日から「無料プラン」の仕様が変わるため,構成を組み替えました。

0コメント

  • 1000 / 1000