高田三郎「ひたすらないのち」

  2015-02-15

 高田三郎(たかた さぶろう)は合唱人で知らない人はいない作曲家。多作ではないけれど,少しクセのある詩に考察を重ねた曲を付け,混声合唱組曲の「わたしの願い」「水のいのち」「心の四季」「ひたすらな道」などロングセラーを生み出した(「水のいのち」は200刷を越えている模様)。楽譜に詳細な「演奏上の注釈」を記すことでも有名。自作を細かく改訂するすることも常態であるらしく,福永陽一郎は「本人が指揮者でもあったという,一種の演奏家気質から生じる,"音楽の伝達方法としての『楽譜』の不完全性"への,"常に生じる不満"から,"改稿する"という手段がとられるのだと思う(注1)」としている。「演奏上の注釈」もその「不満」への大作としてあるのだろうか。

 高田三郎はまた,作曲家としては珍しく,随筆も多く書き,随筆集「くいなは飛ばずに」「来し方」「ひたすらないのち」などが出版された。その中には,自作について語っている随筆もあり,作曲家の考え方や内面を知る上で貴重な情報を与えている。「ひたすらないのち」では,合唱曲の「わたしの願い」「心の四季」「ひたすらな道」などが語られている。

 特に興味深いのは「わたしの願い」。エッセイのメインは早稲田大学グリークラブが阿部昌司先生の指揮で「男声」で歌ったときの話だが,高田が作詞の高野喜久雄にフーガについて意見を聞く場面がある。 「第二楽章の詩をずーっと書いて来て,あの最後の四行

『まことに
 高きものの名を 呼びかわしつつ
 ひた舞い上がる
 雲雀にかわれ』
に達したとき,詩人はその最後のことばを万斛(ばんこく)の思いを込めて書いたことと思う。フーガはそれを億斛(おくこく?)にしたのではないかと?」 万斛とは「はかりしれないほど多い」という意味。億斛はネットでは意味が分からないのだけど,恐らく同じような意味で,「万」が「億」に増えているので,更に多くなったという意味か。つまり,詩の価値をフーガが更に高めたのではないか,と尋ねているのだ。

 これに対し高野はこう答えた。 「ことばで辿り着けるところには限界があって,そこでとまっているとそれらはだんだん貧しいものになっていく。そこで立ちすくんでいるところを音楽が解き放ち,つばさを与え,その大きな力で舞い上がっていく。初めてきいた時は"こんなことがあってよいものか"と思うくらい感動した」と。つまり,高田の意見に同意している。私個人も,高田の作品のなかで「わたしの願い」が最も好きで,この部分が感動的なのには強く同意する(良い演奏になかなか巡り会えないのが悲しい)。

 作曲家の高田が時に言葉を使って自作を補う。一方,詩人の高野は言葉の限界を音楽が「解き放つ」という。お互いの仕事の限界をよくわきまえた二人であるので,次々と名作が産み出されたのだろう。

 もう一つ記しておきたいのは,「ひたすらな道」の第3曲「弦(いと)」について。この詩の最後はこうなっている。

「そしてわたしはいちずにおもう
 あの弦だ
 人の耳にはただの沈黙
 ただの唖としてしか ひびかない弦
 あのいのちをこそ いのちとしたいと」

 あるとき高田は「『唖』ということばは使ってはいけないことばではないか」と問い合わせを受けた。 「私は思わず大きな声で尋ねた。『あなたは言葉を使うとき,軽侮の心をこめて使っていますか?』と。私にはどうしても客観的なこの字の意味だけしか心に浮かばない。そして思った。日本語の中でこの言葉は一体いつから軽侮の意味をも含むようになってきてしまったのか?と。」

 同じ「唖」という言葉に対して高田はこのように考え,多田武彦は「年の別れ」を封印してしまった。各各考えが違うのは当然だが,私は高田の考え方を支持する。別の所にも書いたが,多田は封印することで,差別意識を持って作曲したと言っているのに等しい。決してそうではないことが分かるだけに,もったいないと思う。

1) 「合唱名曲コレクション①」の解説から。福永陽一郎は,雑誌で「作曲家は楽譜に全てを表現するべきで解説などに頼るべきではない」という主旨の記事を書いたが,相手が高田三郎ではそうも言えなかったのだろう。

日本男声合唱史研究室

日本における男声合唱史の研究 Study on male chorus history in Japan 主として明治期から1980年頃までの,日本の男声合唱について資料調査したことを中心にアップしていく予定です。いわば,私家版の「日本男声合唱史」を作る試みです。 タイトルは思い切り気張ってみました(笑)。 2024年4月15日から「無料プラン」の仕様が変わるため,構成を組み替えました。

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