山下剛 「もう一人のメンデルスゾーン」

2016-5-28

 メンデルスゾーンと言えばバイオリン協奏曲でお馴染みのフェリックス・メンデルスゾーンのことであり,彼の男声合唱曲集は日本の団体にもよく歌われている。この本は,彼の4歳年上の姉であるファニー・メンデルスゾーンの生涯をまとめている(注1)。

 単に姉がいたというだけではなく,彼女も弟と同レベルの音楽教育を受け,歌曲だけでも250曲以上の作品を残した。父親の考えと当時の女性のを取り巻く環境のゆえに,発表の場はメンデルスゾーン家の日曜音楽会に限られていたため,その後の知名度ではフェリックスに譲るものの,幼いころの神童ぶりでは弟を凌いでいたらしい。後年に名を上げてからも,彼は姉からの意見を最上のものとして扱った。また,ファニーは結婚後のローマ滞在時に,同時期にローマにいたグノーにも大きな影響を与えた。一説には,グノーの有名な「アベ・マリア」はファニーの作曲ではないかとも言われている。

1)彼女は結婚してファニー・ヘンゼルと姓が変わり,出版された楽譜もこの名であったが,近年はメンデルスゾーン家の一員として,旧姓での研究が増えているらしい。

 さて,私がこの本を購入したのは,作曲家としてのメンデルスゾーンがもう一人いたことであり,また,彼女は「日曜音楽会のために自ら合唱団を組織し指揮もした」「声楽曲,合唱曲等が大きな位置を占める」とあったため,「もしかしたら?」と思ったためである。

 男声合唱家なら誰でも知ってる「グリークラブ アルバム」,いわゆる赤本にはゲーテの詩になる「野ばら」が2曲収められている。1曲は有名なウエルナーのもので,明治期から小学唱歌に「花鳥」として取り上げられた。「童は見たり」で始まる歌詞は,1909年に近藤朔風が「女声唱歌」のために訳したものである(注2)。
 もう1曲,あまり有名ではないメンデルスゾーンの曲が収められている。この曲は大正時代からの関西学院グリークラブの愛唱曲で,昭和9年の合唱コンクールではこの曲を自由曲とし,優勝を記念してSPレコードが発売された(「関西学院グリークラブ100周年記念CD」にも収録されている)。

 1987年に室蘭工業大学の坂西八郎教授がゲーテの「野ばら」に作曲された曲を世界中から88曲集め,曲集として出版された(注3)。その際に北海道放送が番組を制作され,この曲が本当にメンデルスゾーンの作か,林雄一郎先生に確認の依頼があったらしい。グリークラブアルバムにも「メンデルスゾーンの作曲と信じられています」とあり,本当かどうかの疑いがあったらしい。林先生が手をつくされたが,「結局は不明のままメンデルスゾーンの幻の作品になってしまいました」とのことであった。ドイツの図書館などにあるメンデルスゾーンの作品リストに,この作品Heidenrösleinが載っていないらしい。
 では彼の作ではないのかというと,そうとも言い切れないらしい。音楽家の丸山博子さんによれば「ナチスの支配下にあったドイツでは,ユダヤ系だったメンデルスゾーンの作品は歌うことが禁止され,多くの作品が消えてしまった。この曲も旋律の作風や和声の構成などから彼の作曲だと推測されているのだが,今となっては証明は難しそうだ」とある。

2)ウエルナーの「野ばら」についても合唱に関わる興味深い話がたくさんあるが,ここでは省略。
3)ドイツでの先行研究によれば154曲あるらしい。坂西教授は121曲を確認された。

 ここで冒頭に戻って,私が抱いた思いとは,「もしかしたらこの作品はファニー・メンデルスゾーンのものではないか?」ということである。同じ音楽教育を受け,合唱曲を多く作曲したとあれば,可能性があるように思ったのだ。

 結論から言えば,そういうことはなさそうだ。この本の巻末やネットにファニー・メンデルスゾーンの作品リストが公開されているが,男声も何曲か書いてはいるが合唱曲の多くは女声合唱曲である。そしてHeidenrösleinは見当たらない。彼女の場合は出版された曲が少なく,ほとんどは自筆譜なので,どこかに埋もれている可能性はあるが,だとしたら,出版されていない曲の楽譜を関西学院グリークラブが入手したことになるが,それはとてもありそうにない。もしメンデルスゾーン名義なら,結婚前の自筆譜ということにもなる。林先生が調査されてわからなかったぐらいだから,思いつきぐらいで解決するものではなさそうだ。

 ファニーの話からそれてしまったので,彼女の才についてのエピソードで終わる。弟のフェリックスがイギリスのヴィクトリア女王に拝謁した際,女王のピアノの上に自分の最初の歌曲集の楽譜があるのを見つけた。女王はその中の「イタリア(ガエタとカプァの間で)」が愛唱歌で,フェリックスの前で見事に歌ったのだが,実はその曲はファニーの作曲だった。出版について,姉と弟には複雑な思いが行き来していたらしい。


日本男声合唱史研究室

日本における男声合唱史の研究 Study on male chorus history in Japan 主として明治期から1980年頃までの,日本の男声合唱について資料調査したことを中心にアップしていく予定です。いわば,私家版の「日本男声合唱史」を作る試みです。 タイトルは思い切り気張ってみました(笑)。 2024年4月15日から「無料プラン」の仕様が変わるため,構成を組み替えました。

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