安田寛「唱歌と十字架 明治音楽事始め」

  2015-03-13

 1993年の出版。ヤフオクで見かけ,タイトルに興味を持って入札したが,Amazonで買った方が安かった。しかし,唱歌の謎を推理小説仕立てで追いかける,大変面白い本だった。

 日本人が西洋音楽を学び始めたのは,明治になってからの事。安土桃山時代にも宣教師がもたらし,神学校で聖歌が歌われ,オルガン演奏などもあったようだが,キリシタンに限られ,また禁教によっていったん日本社会から消えたので,現代との繋がりでは明治と言うことになる。明治政府は結構早い段階から唱歌,つまり歌を歌うことを学校教育に取り入れることを決めたが,教えられる人が少なくオルガンなど楽器の数も充分ではなかったため,「当分は行わない」としていた。唱歌教育の導入に尽力したのが伊澤修二であり,米国から招聘した音楽教師ルーサー・メーソンであった。二人は共同して,また多くの人から助けられもして,日本で最初の唱歌教科書「小学唱歌集」を編纂,「ほたるの光」「庭の千草」など,今も親しまれている曲を載せた。

 以上が荒っぽくまとめた明治初期の音楽教育に関する説明である。著者は,この最初に作られた教科書には,その頃既に日本で歌われていた讃美歌が使われているのでは,と仮説をおいた。日本人が最初に歌い始めたのが讃美歌であり,メロディーも親しみやすいものがあったからだ。実際,讃美歌というと厳かに響くけれど,「ごんべさんの赤ちゃん」「たんたんたぬきの・・」などの俗謡も,元を正せば讃美歌だ。

 著者は記録を丹念にあたり,まず優れた音楽教師であったメーソンが熱心なクリスチャンであり,若い頃は宣教師になることを願っていたことを突き止める。続いて,メーソンは同じ頃に日本にいた宣教師たちの一部と,密かな交際があったことを確認する。宣教師たちにとって,日本人が教育により西洋音階になれることは讃美歌を通じてのキリスト教の布教がやりやすくなるため,大いに喜ばしいプロジェクトであった。もし讃美歌を,歌詞を変えて日本の唱歌教科書に入れることができれば,全ての日本人の子供が讃美歌を歌うことになる。調査の結果,「小学唱歌」は,音程練習用の曲を除き,全て讃美歌にルーツがあることが分かった。メーソンたちの目論見は成功していたのだ。

 当時は,キリスト教を耶蘇教として白眼視する風潮もあり,もしこのことがばれればタダではすまなかった。どうやら,伊澤は事情を承知の上でこのプロジェクトを隠していたらしい。例えば「蛍の光」は讃美歌でもあるが元々はスコットランド民謡なので,出自をスコットランド民謡とする,という具合に。そのほかにも随所に,初期の面白い話が書かれている。推理小説仕立てで読みやすく,お勧めの一冊。

 本を読んでの疑問。唱歌あるいは西洋音楽導入を決めた背景が今ひとつすっきりしない。国民国家の形成に必要とか,軍隊での集団行動に必要とか,呼吸により健康になるとか,いろいろ説が述べられている。どれも正しいのだろうけど,腑に落ちない。明治政府内で,曲や歌詞に関する論争はあっても,唱歌教育の必要性が議論になった節はない。なにかもう少し理由があるような気がする。

 それから,初期の教育はアメリカのシステムで行われた。讃美歌ついてもこの本で述べられているようだが,日本でもドイツ音楽が「高級」というイメージがあり,「野ばら」「ローレライ」などドイツ語圏の曲が多数知られている。アメリカからドイツへのシフトは,どのように行われたのだろうか? 確かに初期においても,音楽の専門家(幸田延や瀧廉太郎など)はドイツに留学している。このあたり何か棲み分けがあるように思うのだが,どうなんだろうか。

日本男声合唱史研究室

日本における男声合唱史の研究 Study on male chorus history in Japan 主として明治期から1980年頃までの,日本の男声合唱について資料調査したことを中心にアップしていく予定です。いわば,私家版の「日本男声合唱史」を作る試みです。 タイトルは思い切り気張ってみました(笑)。 2024年4月15日から「無料プラン」の仕様が変わるため,構成を組み替えました。

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