辻田真佐憲「日本の軍歌 国民的音楽の歴史」

  2014-11-02

 著者は20年以上にわたって軍歌を収集し研究している人だが,出版時点で30歳!新書なので記述できる量は限られるが,それでも著者が若くして軍歌を徹底的に調べていることが分かる。私も男性合唱の調査を趣味にしているのだけれど,やるからにはこれぐらいやらないといけないなぁと反省。

 軍歌というと,今の我々には右翼が流す大音量のノイズでしかなく,戦前の日本が民衆を戦争にかき立てるためのお仕着せの音楽,というイメージしかない。著者はそれを否定し,明治維新の頃は「日本」という意識が少なかった当時の「日本人」を一つの意識にまとめ上げた,国民統合の道具であり,かつ,民衆にとっての娯楽であったことを示す。今で言うJ-POPみたいなものであった,と。国民統合のツールという考え方は,渡辺裕「歌う国民」で示された考え方であるけれど,渡辺が唱歌を中心に論じたのに対し,軍歌を切り口にしたのが秀逸。どちらも,歌が意識の統一に果たす役割を鮮明に描いている。

 面白いエピソードも沢山出てくる。日本に西洋音楽を普及させる礎を築いた伊澤修二が「軍歌」という名前の軍歌を作曲し,これが日本最初の軍歌に当たること。北朝鮮では金日成が作詞・作曲したとされ現在でも使われる「朝鮮人民革命軍」が,日露戦争の頃に出た「日本海軍」という軍歌の替え歌であること(韓国,中国にも似たような例が少なくないらしい)。また,日本の労働歌でも「メーデーの歌(聞け万国の労働者)」も軍歌「アムール川の流血や」の替え歌だとか。軍歌が広く民衆に歌われていたという証拠である。

 初期の軍歌の手本となった物に,ドイツで1854年に作られた「ラインの護り」がある。この曲は,ドイツの人々に一体感を与えた名曲。この曲は明治初期に日本にも伝えられ,1889年(明治22年)に東京音楽学校発行の「中等唱歌集」に替え歌「火砲の雷(ほづつのらい)」として収録された。辻田の本に楽譜が収録されているが,嬉しいことに4部合唱曲である。早々に口ずさんでみると,なんと,これは同志社大学のカレッジソングである。同志社グリークラブが演奏会の幕開けに歌うのを聞いて,いつも勇壮でかっこいいなあと思っていたのだけど,ルーツをたどれば軍歌だったわけだ。
 同志社大学のホームページを見ると,エール大学の学歌「Bright College Years」と同じで親しみがあったのでこれになったのでは・・というようなことが書いてある。宣教師の方々にとってはそうだったのだろうけど,学生達にとっては「火砲の雷」で親しみがあったのではないだろうか。カレッジソングの制定は1908年(明治41年)だそうなので,日本に知られてからも20年以上たっているのだから。

日本男声合唱史研究室

日本における男声合唱史の研究 Study on male chorus history in Japan 主として明治期から1980年頃までの,日本の男声合唱について資料調査したことを中心にアップしていく予定です。いわば,私家版の「日本男声合唱史」を作る試みです。 タイトルは思い切り気張ってみました(笑)。 2024年4月15日から「無料プラン」の仕様が変わるため,構成を組み替えました。

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