最も古い邦人男声合唱曲は何か?
明治になってたくさんの合唱曲が輸入されたが,日本人が作曲した初めての合唱曲は,瀧廉太郎が明治33年(1900年)に出版した「四季」に含まれる三曲とされている。もちろん,東京音楽学校では習作がたくさん作られたことであろうが,ここで言う「初めて」とは,楽譜が出版され一般に歌われた合唱曲として,という意味である。
「四季」には,誰もが学校で習った有名な「花」以外に,混声4部合唱曲が2曲含まれ,また,体裁が四季をテーマとした組曲であることなど,完成度の高さにうならせられる(注1)。
1)「四季」の構成は
第1曲「花」 伴奏付き同声2部合唱曲
第2曲「納涼」 伴奏付き独唱曲
第3曲「月」 無伴奏四部合唱曲
第4曲「雪」 ピアノおよびオルガン伴奏伴奏付き四部合唱曲
であり,おそらく瀧は当時の東京音楽学校で教えられていた全てのタイプの声楽曲を世に問いたかったのであろう。当時主流だった,外国の曲に原曲の歌詞を「無視」して日本語歌詞を当てて歌うスタイルが(今風に言えばメロ先とも言えるが),「原曲の妙味を害ふに至る」と考える瀧は,日本語の歌詞に日本人が作曲した曲の発表を考えた。その際,声楽の4つの形態に対応した4曲を同時に出したいという思いがあり,そのために春夏秋冬を題材とする「四季」を構想したのではないだろうか。
実は「四季」の4曲はすべて作詞者が異なっており,一貫した主題の元でふさわしい詩を探す作曲のスタイルは,後の清水脩や多田武彦を思わせ,合唱組曲的でさえある。実際,戸の下は「日本の合唱史」の中で「四季」を「合唱組曲『四季』」と記述している。私は,作曲者がどう呼んだかに従うべきと考えるので,合唱組曲と呼ぶのは適当ではないと思う。また,瀧の発想は合唱組曲的ではあるが,特に合唱に力点を置いたとは思えない。その意味では遠藤宏が昭和25年(1950年)の著作「瀧廉太郎の生涯と作品」(音楽文庫11 音楽之友社)で「四季」を呼んだ「組歌」の方が,どうしても冠を付けるなら,適切だと思う。
最初の邦人合唱曲「四季」では,前述のように同声合唱と混声合唱が発表されている。では,最初の男声合唱曲は何だろうか?
今まで調べたところでは,3つほど候補がある。ここでは,比較的データがはっきりしている作で考えることにする。なぜ候補が3つあるかというと,実はどの曲にも断定するには難があるからである。まず3つの候補曲とは,童謡「赤い靴」で有名な本居長世の2曲(明治43年の男声三部合唱曲「般若心経」か,明治45年の同声または男声三部合唱曲「嬉しき日」),弘田龍太郎の1曲(大正元年(明治45年)の男声三部合唱曲「おぼろ夜」)ではないかと考えている。以下に楽譜の冒頭を示す。
まず,年代だけを考えるなら,本居長世の「般若心経」は明治43年だから,最も早く,最初の邦人男声合唱曲だと言える。しかし,この曲が最初と言ってしまうのが少しためらわれるのは,般若心経をアレンジした曲である点。さらに,この曲は独立した合唱曲ではなく,歌劇「夢」の冒頭曲である点。歌劇の中の必然性からこの曲は作られた。
声明を聴くのが好きな人には面白い曲で,戦前の男声合唱団オリオン・コールの演奏がデジタル化されており,国会図書館のなかであれば聴くことができる。
独立した合唱曲としては,同じ本居の「嬉しき日」が候補の一つ。大変明るい曲で,いま歌っても楽しい良い曲である。弱点は,もともとは「同声合唱」とされていた点。写真の楽譜は金田一春彦が昭和57年に復刻した「本居長世作品選集」のもので,ここでは「男声三部合唱」とされているが,昭和5年(1930年)に山田耕筰が編集した「世界音楽全集第9巻 日本合唱曲集」では「同声合唱」とされている。記譜法的には男声三部だと思うが,世に出た際に「同声合唱」とされていたため,これも押し切れないところがある。また,明治45年2月という作曲年月も次の弘田の作品との比較で引っかかる。
最後にあげた弘田龍太郎の「おぼろ月」,これは独立した合唱曲であり,「男声三部」と明記されており,問題がない。また,作曲年とされる大正元年とは明治45年のことであり,もし本居の「嬉しき日」が2月10日より後の作曲であれば,この「おぼろ月」が最初の邦人男声合唱曲となる。
しかし,この曲にも難がある。この曲は前述の「世界音楽全集第9巻 日本合唱曲集」にしか収録されておらず,昭和34年にでた「弘田龍太郎作品集」に収録されていない。全集ではないから載っていなくても良いのかもしれないし,弘田の作品であることは間違いないのでマイナーなことかもしれないが,やはり引っかかるところ。また,本居の2曲は演奏記録がそれなりにあるのに対し,この曲は現時点で歌われた記録がみつからない。男声の楽譜が少ない戦前において,歌われたことは間違いないとは思うのだけど,どれぐらい歌われたのかがはっきりしない。
以上が,候補曲をどれも押し切れない事情である。もう一つ言うと,「どれも男声三部合唱じゃないか」という突っ込みもある。現在では授業を除けば三部合唱は余り歌われないので,ここも引っかかるところ。
ならば男声4部はどうなのかというと,いまのところ,やはり本居が吉丸一昌の詞に曲をつけた,「あざけり」ではないかと思われる。この曲は大正3年(1914年)5月にでた雑誌「幼年唱歌」第7集に収録されているらしい。金田一春彦の著書「十五夜お月さん 本居長世 人と作品」によれば作曲は大正元年10月23日ということで,「嬉しき日」とほぼ同時期の作曲。私は楽譜を見ていないのでこれ以上は何とも言えない。下記のホームページで歌詞とmidiの演奏を聴くことができる。
http://bunbun.boo.jp/okera/w_shouka/t_sinsaku/t2s7_aza_keri.htm
以上まとめると,ともかく早い時期と言うことであれば本居の「般若心経」,独立した合唱曲としては弘田の「おぼろ月」,男声4部であれば本居の「あざけり」というのが現状での答えである(注2)。もし「もっと早い時期の邦人男声合唱曲がある」とご存じの方がおられれば,連絡頂けると幸いである。
2) 本居長世は最初期の作曲家であるため,これ以外にも合唱に関する記録保持者と考えられる。藤井清水などと共に,別途まとめる予定。
(2016/10/23追記)
「あざけり」の楽譜を入手したので確認すると,確かに下図のように男声四部合唱曲である。歌詞には「大正元年(1912年)10月23日,歌曲同日作」の記載があり,金田一の記述が確認できた。
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