慶應義塾ワグネル・ソサエティー男声合唱団 第141回定期演奏会

 「東西四大学の定演を全部聴く」試み,後半の慶應義塾ワグネル・ソサエティー男声合唱団。第141回定期演奏会である。東京芸術劇場が満席らしく,2000人近くのお客さんが来場されたようで,慶賀のいたりである。まずは塾歌,1回生を入れて70人近くが頭声を効かせて歌うのは誠に気持ちがよく,今後のステージが期待できる。

 第1ステージは「男声合唱とピアノのための『ジプシーの歌』」,ドヴォルザーク作曲で福永陽一郎編曲,指揮は正指揮者の佐藤正浩さん,ピアノは前田勝則さん。東西四大学ステージの再演で,2回生以上の50人程度での演奏。その時と同じ感想で,メリハリの効いた素晴らしい演奏。前回は「ベースがやや弱い」と思ったが,ホールと客席の位置の違いか,結構太い声が出ていた。私のレベルでは何も言うことはない。

 第2ステージは「男声合唱とピアノのための組曲『ある真夜中に』」,千原英喜作曲で指揮は学生の野口遼太さん,ピアノは永澤友衣さん。タイトルに聞き覚えがあると思ったら,終曲を聴いてNコンの課題曲だったことを思い出した。悪い演奏ではないのだけど,フレーズが平板で,人数が増えたのにダイナミックレンジが小さくなったの不思議。

 同志社,早稲田,慶応と聴いて,全て学生指揮者のステージが今ひとつなのは残念。「プロの指揮者と比べられたら堪らん」という言い分もあることは理解するけれど,それならなぜ学生指揮者のステージがあるのか? 「学生の団体だから学生指揮者のステージがあるのは当然」というのでは思考停止だ。聴く側は「ワグネルのレベルの高い音楽」を期待するので,そこに先生も学生もない。

 思うに,東西四大学のような傑出した団体では,音楽は指揮者の先生から与えられるものだという姿勢が(無意識かもしれないが)あるのではないか。「指揮者の言うとおりにすれば良い」という姿勢が。学生指揮者は団内ではトップレベルの音楽性と技術をもった方々なのだろうけど,他のメンバーと圧倒的に違うわけではない(そういう方もおられるかもしれないが,例外的で,毎年コンスタントにおられることはありえない)。学生指揮者の音楽性と指導力が上限を決めてしまう結果だろうか。

 おそらく,自分のステージのための時間を削ってでも先生のステージのための下振りと課題への対応があり,思い通りの音楽には仕上げきれない面もあるのだろうけど。先生方から得た音楽を学生指揮者のステージでどう発揮するか,団員が音楽を自主的に表す,ここが傑出した団体の課題のように思う。下手すると統制取れなくなって,メチャメチャな音楽になるのだろうけど。


 第3ステージは「二つの祈りの音楽~男声合唱とピアノ連弾のための〜」,松本望作曲,指揮は客演の雨森文也さん,ピアノは作曲者の松本望さん,平林知子さん。もとは混声の曲で今日は男声編曲版の初演。編曲は雨森さんの提案らしい。ピアノが2台かと思ったら1台での連弾,そして合唱も二群に分かれる。前ステージで感じたことの裏返しがここにあって,フレーズもダイナミックもハーモニーも素晴らしい音楽が聴けて,聴く喜びも極まれリという演奏だった。指揮者に全幅の信頼を寄せて音楽する時のワグネルの力は,恐るべきものである。作曲者は「混声の広い音域で様々な音色を使っていたところを,男声に凝縮するのが大変だった」とされており,ダブルコーラスだから更に大変だったと思うが,違和感なく聴くことができた。


 第4ステージは「オペラ『真珠採り』より」でジョルジュ・ビゼー作曲,指揮は正指揮者の佐藤正浩さんでピアノは再び前田勝則さん(早稲田でも伴奏されてたし,昔の三浦洋一さんとか久邇之宣さんのような方なのだろうか)。第99回の定演依頼の再演,ということで同時のソリストの方が演出された。第99回の定演といえば,ワグネルの中でも最も完成度が高く成功したとされる伝説の定演で,「めざせ99回」が合言葉になっているという話を聞いたことがある(私が初めてワグネルを聴いたのはこの年で,東西四大学で木下保先生が「エレミア哀歌」を指揮された。高校生でよくわからなかったのは,今思うと勿体無い)。

 海をイメージした青いTシャツで,団内ソリストを立ててオペラを抜粋とは言え演奏できるのは,ワグネル以外には考えられない。お見事。当時の指揮者(学生)が編曲した楽譜を使われたそうで,当時の演奏は次のステージを振る畑中先生が「この後はやりにくいね」と言われたとか。どんな演奏だったのだろうね。


 佐藤先生主導のMCの間にブレザーに着替え,アンコールは雨森先生が松本望先生伴奏で三善晃編曲の「夕焼け小焼け」,夕焼け小焼けつながりで佐藤先生が「柳河」,多田武彦つながりで野口さんが組曲「追憶の窓」から「雨後」。このあと,慶応の応援歌などが三曲。早稲田もこんなスタイルだったし,関東はこんなスタイルなのか。それとも早慶だけ?


 2ステージを聴きながら思ったことを好き勝手に書いたけど,佐藤先生がパンフレットに書かれているように「四連や定期演奏会の選曲は,4年間の中でなるべく多くの種類の音楽に接する事が出来る様バランスを考慮し,また時には僕の好み?で独断で決定してきた(畑中先生もされて来られたように)」という言葉,そして「音楽を学ぶのは途方も無いことで,4年間でなしとげることは無理かもしれないが,無駄ではない」という主旨の言葉は重い。ワグネルは伝統的に音楽教育を受ける立場にあると同時に,日本の男声合唱のトップレベルにあることを求められる合唱団。そこに加えて,学生団体としての主体性はどうあるのか,という疑問も湧いてくる。

 今はトップレベルであることを追求しているようにみえるし,男声合唱ファンとしては聴き応えある演奏が聴けて嬉しいのだけれど,このアンビバレントな要請の歪が学生指揮者のステージに現れていると思う。「ワグネルとは何か」,おそらく現役の方々は日々議論されていると思うが,次のワグネルはどこに向かうのだろうか(99期OBの演出を担当された鵜山さんが「定演は現役のもの」と発言されたのは感銘を受けた。ここを勘違いするOBが結構いるので)。

日本男声合唱史研究室

日本における男声合唱史の研究 Study on male chorus history in Japan 主として明治期から1980年頃までの,日本の男声合唱について資料調査したことを中心にアップしていく予定です。いわば,私家版の「日本男声合唱史」を作る試みです。 タイトルは思い切り気張ってみました(笑)。 2024年4月15日から「無料プラン」の仕様が変わるため,構成を組み替えました。

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