「日本合唱連盟」と「合唱の友」

 2018年1月現在,合唱の専門誌は全日本合唱連盟が発行する機関紙「ハーモニー」しかないが,昭和40年前後の最盛期には月刊誌として「合唱界」「合唱サークル」の2誌があり,さらに「旬刊 合唱新聞」が発行されており,ネットがなかった時代の主要な情報源であった。また,付録として合唱楽譜が掲載され,レパートリー拡大にも寄与した。

 上の写真は,おそらく日本で最初に出版された合唱専門雑誌であろう「合唱の友」*。創刊号として昭和23年(1948年)3月に発行された。編集は「日本合唱連盟」で「全日本合唱連盟」ではない(後述)。出版は合唱楽譜を出版していたアポロ出版社が担当した。

 写真は私が入手したものだけど,音楽系の大学や図書館がいくつか収蔵しているが,どこも第3号までしか所蔵しておらず,長くは続かなかった模様。清水脩も「合唱界」の創刊号に「七八年前に,同種のも出たことがあつたが,二三号でつぶれてしまつた。」と記しており,3号までしかでなかったらしい。

* ちなみに、1921年(大正10年)頃に「合唱」という雑誌が「合唱社」から出ていた。しかし、これは音楽ではなく文芸誌。 なぜ文芸誌に「合唱」の名が付いてるのかは不明。


 さて,編集元である「日本合唱連盟」とは何か,について疑問を呈したのが河西秀哉である。著書「うたごえの戦後史」で朝日新聞の記事を引用し,「日本合唱連盟」が昭和21年(1946年)2月11日に発足したことを明らかにしている。「全日本合唱連盟」は昭和23年(1948年)11月23日の発足(第1回全日本合唱コンクールと同時)と同連盟の20年史等に記されており,この間約2年のギャップがある。

先程の「合唱の友」に,その年の11月に東京の共立講堂で全日本のコンクールを決行する予定であることが清水脩によって報告されている。これはまさしく第1回全日本合唱コンクールであることから,河西は「全日本合唱連盟」は「日本合唱連盟」を「改組するという形で成立されたのではないかと想像できるのである」としている。と同時に,「全日本合唱連盟20年史」には「日本合唱連盟」の記述がないことを指摘し,その理由について論考している。



 このギャップについて,私も現在得られる資料によりもう少し考えてみたい。河西のような考察はできないので,もっぱら創立年に関することになる。


 この写真は,昭和42年(1967年)11月23日に開催された,全日本合唱連盟創立20周年記念式典のプログラムである。「20周年記念イベント」とは「丸20年が経過した21年目」に実施することが一般的であり,発足は昭和21年と想定していることになる。仮に20年で開催したと想定しても,発足は昭和22年となり,連盟史にある昭和23年の発足と整合しない。


 なぜこの年を20週年としたのか,その理由の一つは,20周年式典の行事の一つである全日本合唱コンクールがこの年20回目を迎えたため,それに合わせたほうが話が分かりやすくなるからではないか(下図参照)

このように,回と周年は一致させると分かり易いが,この場合は昭和23年発足の全日本合唱連盟は,創立した瞬間に1周年を迎えていることになる。それはいくらなんでもおかしい。ということは,前述の

『「20周年記念イベント」とは「丸20年が経過した21年目」に実施することが一般的であり,発足は昭和21年と想定』

していると考えると,つじつまが合う。


 実際,「合唱サークル」第2巻10号の記事「特集・合唱連盟20年の歩み」の座談会で,秋山日出夫は「連盟が発足したのは昭和二十一年」と「日本合唱連盟」創立の話をしている(もちろんこの座談会は「全日本合唱連盟」に関するものである)。座談会は,秋山の他に清水脩・山根一夫・鏑木欽作の諸氏がメンバーであるが,このことに異論はでず,「全日本合唱連盟」創成期の話として「日本合唱連盟」の話が語られていく*。

 * 「日本合唱連盟」の創設に,音楽之友社社長だった目黒三策が一役買った話は「合唱サークル」第1巻第12号の座談会「音楽之友社と楽界」に詳しい。

 どうやら,「昭和21年の日本合唱連盟発足を全日本合唱連盟の発足(原点)にすると都合が良いよね」,という程度の共通認識(了解)があったのではないか。意図的に「日本合唱連盟」の存在を消したわけではなさそうだ。

 ところで,前述の「創立20周年記念式典」は,3夜連続の「日本の合唱曲の歴史」演奏会を含む,創立以来最大規模の催しで,3年前から計画されたらしい。最近はそうでもないが,コンクールは11/23に開催と決まっており,それは戦前の国民合唱協会からの伝統である(吹奏楽の全日本コンクールも,戦前から11/23だった)。


 歴史演奏会は,面白い試みだけど,観客動員が上手くいかず,また,演奏団体によってそのレベルもまちまちだった(「合唱サークル」第3巻第1号に宇野功芳によるレポート(批評)がある)。Victorから「1000万人の大合唱」その1・その2としてLPが発売され(抜粋して収録),これを聴くと宇野の批評はうなずけるものがある。LPタイトルの「1000万人」はかなり大げさだけど,当時の合唱熱が偲ばれるタイトルである*。

 * Victorは,ほぼ同時期に「日本の合唱(上・下)」を各3枚組で発売しており(上:11/5,下:12/5発売),レコード会社も合唱曲の発売に力を入れていた(ビジネスチャンスとみていた)。

日本男声合唱史研究室

日本における男声合唱史の研究 Study on male chorus history in Japan 主として明治期から1980年頃までの,日本の男声合唱について資料調査したことを中心にアップしていく予定です。いわば,私家版の「日本男声合唱史」を作る試みです。 タイトルは思い切り気張ってみました(笑)。 2024年4月15日から「無料プラン」の仕様が変わるため,構成を組み替えました。

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