西洋音楽の正体 調と和声の不思議を探る

 私は合唱を嗜むものであるけれど,いわゆる楽典をきちんと勉強したことがない。中学高校の音楽の授業と,高校の合唱部に入ったときに芥川也寸志の岩波新書「音楽の基礎」を何度か読んだくらい。この本が名著だったけど,さすがに新書に盛り込める内容には限界があり,タイトル通り基礎を身に着けた程度。仲間には楽典に詳しい人も多く,自分で理解していなくてもついて行けばなんとかなるのが合唱のよいところ。福永陽一郎が合唱辞典に「大学の混声合唱団では,発声訓練などの生理的な面では女性が弱く,読譜力などの頭脳的な面では男性が弱い」と記したことが,あてはまる。楽譜を細かく解析する暇があったら発声や表現を磨きたい,というタイプでした。


 たまたま見かけた伊藤友計「西洋音楽の正体 調と和声の不思議を探る」は面白かった。そんな私にも西洋和声の成り立ちから理論的・歴史的発展を丹念に,工夫された図面で説明してくれ,得るものが多かった。


 詳細で丹念な説明は本を読んで頂くとして,面白かったところをあらっぽく紹介する。ドいわゆる属七の和音,ドミナント・セブンスはどことなくモダンな響きで,ポップスで多用される印象だけど,セブンスは近代の発明ではなく,すでに中世には使われていた。そして,当時の音楽書では「音楽の塩」と表現した。意味するところは「調和和音だけで作った音楽は,締まらなくてつまんない」ということですね(笑)。

ただし,どこにでも自由に使えるのではなく「予告の後に使われ,調和音につなぐ」という厳格なルールがあった。例えばド・ミ・ソ→レ・ファ・ラとつなぎ,このファを「予告」としてソ・シ・レ・ファを引っ張り出し,続いてド・ミ・ソで終わるイメージ。このような不協和音を挟んで協和音に予定調和する形式は,音楽による「神の世界の表現」とされた。

これに「反旗を翻した」のがモンテベルディ。彼が1597年に作曲したとされる「つれないアマリッリ(Cruda Amarilli)」は「予告」なしに セブンスを鳴らし,当時大論争になった。今聴いてもほとんどの人はどこが問題かさっぱり分からないはず。

 モンテベルディは「歌詞の情感を表現するためには,この和音でなければならない」と主張。音楽が「神の世界の表現」から「人間世界の表現」に変わった瞬間である。その後の展開は,言うまでもない。

 モンテベルディは,芥川の本によれば,バイオリンのトレモロ奏法やピチカート奏法を初めて採用した人でもあり,音色を音楽表現に取り入れた最初の人。もしかすると近代音楽の開祖といえるかもしれません。


 そのご,和声学は18世紀の理論家ラモーなどにより緻密に理論化され体系化された。音響学も深まり始め,倍音の理解も進むようになり,例えばラモーは「音楽がこのように美しく体系化できることは,音楽が神の恩寵だからだ」と考え,次に音楽(理論)から自然の成り立ちを理解する研究を始めました。つまり,音楽理論を元に,世界の統一理論を作ろうとした。

 今の視点からは,音楽たって「西洋音楽」のことで,ギリシアに始まる西洋人が感性に基づいて自然から掴みだし加工してたローカルで人工的な体系なわけですから,それは不毛だろうと思うわけですが*,神の栄光が現実だった当時は違った。

* 物理的にも,例えば「倍音に短3度は含まれないので,自然の体系に短調は存在し得ない」など,反例はいくらでもあります。


 音楽史的には決着ついたある種の「笑い話」だけど,ザビーネ・ホッセンフェルダー「数学に魅せられて,科学を見失う」を読むと,この「呪い」が形を変えて現代に残っていると思わせられる。以下,音楽と離れるけど関連で紹介する。


 素粒子物理の研究者である1976年生まれの彼女は,「私の世代は呆れるほど失敗ばかりで,たくさんの理論を提案したが,確証されたものはひとつもない」と述べる。彼女によれば,その最大の理由は「宇宙を支配する物理法則はシンプルで美しいもの」と,ほぼ全ての研究者が抱いている想定が間違ってるから。

F=mαとかE=mc^2など物理法則はシンブルだけど,いつの間にかそれが信念となり,「正しい理論は,美しくシンプル」→「美しくなく複雑な理論は,正しくない」となって発想を縛り,「真実」から遠ざけているのではないかと*。


 考えてみれば,物理法則はシンプルで美しい(美しいとはなにか,はここではおく)とは誰も保証できないわけで,ありうるとすればそれは神様しかない。これは「美しいものは神の恩寵」としたラモー達の発想と同じに思える。イスラムではストレートにそう表現します(世界が秩序正しく運行されることは,アッラーの恩寵である)。

いまの私達は無神論者のように振る舞いますが,根本のところで秩序を保証してくれる何かを欲しているのだろうか。

* 全ての発想をチェックすることはできないので,何らかのフィルターが必要であることは,ザビーネさんも認めています。



日本男声合唱史研究室

日本における男声合唱史の研究 Study on male chorus history in Japan 主として明治期から1980年頃までの,日本の男声合唱について資料調査したことを中心にアップしていく予定です。いわば,私家版の「日本男声合唱史」を作る試みです。 タイトルは思い切り気張ってみました(笑)。 2024年4月15日から「無料プラン」の仕様が変わるため,構成を組み替えました。

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