合唱組曲の誕生と普及 (1)
2019年版
最初に言い訳を書くのは気がひけるけど,この「合唱組曲の誕生と普及」,つまりなぜ日本では合唱組曲が多いかについて,最初に原稿を書いたのは2016年。中核のアイデア・着想は悪くないと思うのだが,書いてみるすっきりしない。毎年書き直し4種類の原稿ずある。今年版のサブタイトルは「改定・新」である。悩んでいても仕方がないので,ここで区切りをつけ公開することにした。
すっきりしないのは情報と妄想の詰め込み過ぎのためだろうけど,網羅的に書いているものを他では読んだことがなく,なかなか枝葉を切りにくい。あっちにいきこっちに行き,読みにくいかもしれないがご容赦ください。ご意見いただけると嬉しいです。
また,グラフなどは2016年に作成したもので,その後の調査で付け加えるべきデータがあり本来はアップデートすべきなのだが,結構手間がかかることと,また扱う年代が1970年頃までなので傾向に影響ないので,2016年版を上げることにした。他の記事のグラフと同様,これもいずれアップデートします。
序
日本の合唱曲では,「合唱組曲」が多いとされている。「合唱組曲」の形式と名称は,清水脩が昭和24年(1949年)に「月光とピエロ」で初めて使用したとされ,これが本当かどうか後に検証するが,それ以降どれぐらいの合唱組曲が生み出されたか。正確にカウントすることは不可能だけど,イメージを掴んでみる。
合唱楽譜通販のPanamusica(https://www.panamusica.co.jp/ja/)の検索ボックスに「合唱組曲」と入力すると,楽譜として700件あまり表示される。「男声合唱組曲」では120程度。重複等の確認は行っていないが,ざっくりこれぐらいの「合唱組曲」を楽譜として入手することができる。未出版のものもあるので,今まで作曲された組曲が同程度あるとすれば,1400件程度存在することになる。仮に1000件と見積もっても1949年以来約70年間でそれだけの数の合唱組曲が生み出されのは,世界的に稀有なことだろう。その他の検索と併せて示す。
実際,海外の状況を調べようと「合唱組曲」に相当する英語chorus suiteを検索しても,それらしいものは見つからない。Nick Strimple著「Choral Music in the Twentieth Century 」を当たってみても,
Villa-Lobos 「オーケストラと合唱のための『ブラジルの発見』組曲no.1-no.4 (1937年)」
Halsey Stevens「無伴奏混声合唱のための『組曲Campion』(1967年)
Healey Willan「合唱とオーケストラのための組曲『戴冠式』(1952年)」
がなんとか拾い出せる程度。
Villa-Lobos の組曲が我々がイメージする合唱組曲に当てはまるなら「月光とピエロ」より早く,「世界初」の可能性があるけれど,調べたところそうではない。「ブラジルの発見(O Descubrimento do Brasil)」は,Humberto Mauroによる「少数の対話とVilla-Lobosによる音楽を伴う約1時間の白黒映画による民族誌」で,セリフもほとんどなく Villa-Lobosの音楽に語らせており,組曲no1-no.4とはこの映画の4つのパートに割り振られている。
ブラジルの発見, 組曲 No. 1
1 Introdução (Largo) /序奏 15:31
2 Alegria / 喜び 2:36
ブラジルの発見, 組曲 No. 2
3 Impressão Moura / ムーア人の印象 3:46
4 Adagio Sentimental / センチメンタル・アダージョ 6:22
5 A Cascavel / ガラガラ蛇 2:17
ブラジルの発見 組曲 No. 3
6 Impressão Ibérica /イベリア人の印象 11:12
7 Festa Nas Selvas / 森のなかの祝典 3:36
8 Ualalocê (Visão Dos Navegantes) / 航海士たちの幻視 2:38
ブラジルの発見, 組曲 No. 4
9 Procissão Da Cruz / 十字架たちの行進 15:27
10 Primeira Missa No Brasil / ブラジルでの最初のミサ 14:56
このうち合唱が登場するのは組曲No.4のみ。全体構成はオーケストラが主体。演奏はYoutubeで聴ける(https://www.youtube.com/watch?v=K266nfbB12g)
次にHalsey Stevens「無伴奏混声合唱のための『組曲Campion』は,無伴奏混声四部合唱曲で次の5曲からなる。これ以上の情報はないが,この人は他に「ピアノとクラリネットのための組曲」なども作曲しており,これは合唱組曲としてよさそう。
1.There Is a Garden in Her Face
2.Thrice Toss These Oaken Ashes
3.When to Her Lute Corinna Sings
4.To Music Bent
5.Night as Well as Brightest Day
Healey Willan「合唱とオーケストラのための組曲『戴冠式』(1952年)」は混声5部(ソプラノ2部)とオーケストラで構成され,英国のエリザベス2世の戴冠式のために作曲された。これも我々がイメージする合唱組曲とは違う。
1. Prelude
2. "Ring Out Ye Crystall Sphears"
3. Intermezzo
4. "Come Ready Lyre"
5. "Come, Thou Beloved of Christ"
以上ざっとした調査だけど,海外では合唱組曲が一般的ではないというのは確か。男声合唱については,1954年に来日したデ・ポーア合唱団(de PAUR’s INFANTRY CHORUS)はユリシス・ケイ(Ulysses Kay)による「男声合唱組曲『三部曲』」を演奏した(Triumvirate : Suite for Male Voices)*。ケイはアフリカ系アメリカ人の作曲家で,「オーケストラのための組曲」「オルガン組曲」などがあり,組曲が好きだったのかもしれない。この作品は1953年の同合唱団の委嘱作品であり,もしかすると「月光とピエロ」が人気であることを受け,日本公演向けに主催者が「組曲」を入れるよう依頼したのかもしれない。
海外に合唱組曲があまり存在しない理由(逆に言えば日本でこれだけ多くの合唱組曲が作られた理由)を検討していく。そのためにはまず,そもそも合唱組曲とは何か,定義を定義をはっきりさせておく必要がある。
* 3曲のタイトルは次の通り。
第1曲 前奏曲「楽の調べ」 Prelude “Music” (Ralph Waldo Emerson作詞)
第2曲 変奏曲「子供の時間」Variations “The Chirdren's Hour” (H. W. Longfellow作詞)
第3曲 行進曲「夜間行軍」 March “The Night March” (Herman Melville作詞)
Ⅰ 合唱組曲の定義
組曲ときいて合唱人がイメージするのは「複数の合唱曲からなり,それらを通貫するテーマがあり,多くの場合はそのテーマがタイトルとして冠されている」というところだろう。時に作曲者が注記するように「全曲を演奏する場合は,作曲者が並べた順番で演奏する」も曲集と組曲を区別する時に必要かもしれない。順に検討していく。
組曲とは,もちろん合唱専用の用語ではなく,一般にはビゼーの組曲「カルメン」やチャイコフスキーの組曲「くるみ割人形」,ホルストの組曲「惑星」が有名。wikiには「いくつかの楽曲を連続して演奏するように組み合わせ並べたもの」と書かれている。
辻荘・清水脩・山本金雄監修の「声楽合唱辞典」(カワイ楽譜 昭和45年(1960年))の「組曲」では「形式,内容ともに時代によって異なるが,共通したものとして,数個の楽章を組み合わせた形式といえる」とされている。16-18世紀のバッハを頂点とした標準的な構造を持つものが古典組曲,その後ディベルティメントやセレナードに取って代わられたが,19世紀後半にすべての点で自由な形で復活したと説明されており,先に上げたビゼーやチャイコフスキーはその例である。
これらの定義では「いくつかの楽曲」「数個の楽章」と表現されているが,複数の曲を組み合わせるだけでは,曲集と組曲を区別することが出来ない。
ここでもう一つの要件,「全曲演奏する場合は楽譜の順に演奏する」を考えてみる。この注釈は最近はみないけど古い楽譜には記されているものがあり,例えば昭和34年(1959年)に出版された大中恩の合唱組曲「わたしの動物園」の解説に「組曲として全曲を演奏される場合は勿論順序をかえてはなりません」とある*。 また,組曲ではないけれど「フランスの詩による男声合唱曲集『 月下の一群 』」では作曲者の南弘明が「曲集であり,一つの主題を貫いた組曲ではない。したがって,五つの曲の配列は任意に変えてもよく」と記している**。これは「一つの主題を貫いた組曲では曲の配列は任意に変えてはならない」ことを裏返しに述べている。
* 「勿論」には「そんなことは言うまでもなく自明だ」というニュアンスがあると同時に,合唱組曲黎明期には曲順を替えた演奏があった可能性が伺え面白い。
** 配列を変えた演奏を聴いたことがないけど,作曲者は実は組曲を意識し,自分の考え以上の良い配列を考えられるか挑戦しているようにも思う。そのため,あえて組曲と名付けなかったのかもしれない。楽譜は残念ながら著作権の問題により,現在は絶版。
このように作曲者が配列した順に演奏するは,組曲の本質であるが,演奏順は「常識」または「紳士協定」である。演奏の現場で「拘束する」ことはできない。すこし違うけれど,畑中良輔が男声合唱組曲「水のいのち」の5曲目「海よ」の後に,もう一度1曲めの「雨」を演奏したことがあり,畑中の意図は理解できるけれど,高田三郎の意図ではない。
また,曲集なら配列順でなく自由に演奏してよいのだろうが,実態として演奏しているのかと言えば,配列順の演奏が多いことは「月下の一群」の例にある通り。シューベルトの「冬の旅」は歌曲集とされ歌曲組曲ではないけれど,これもほとんどは配列順で演奏されているのではないか。
つまり,要件として組曲の定義に内包されるけど,演奏実態として曲集と区別するためには有効ではない。
以上から,組曲の最も厳密な定義は「作曲者が組曲と名付けたもの」と考えている。これでは何も言っていない気もするが,「作曲者が組曲として名付けたものが組曲であり,それ以外は(勝手に)組曲として扱ってはならない」という定義をおき,実際の演奏やプログラムを眺めてみる。
この点で男声合唱でよく誤記されるのが,石井歓「枯れ木と太陽の歌」や南弘明「月下の一群」や清水脩「アイヌのウポポ」。「枯れ木と太陽の歌」は4つの節に分かれ各々に「枯木は独りで唄う」のようなタイトルがついているため組曲と記されがちだが,楽譜に「合唱曲」と明記されている。森脇憲三の「はじめに青い海があった」も3節あるが「組曲」ではなく「男声四部合唱曲」。しかし例えば,1977年の「45th関西学院グリークラブリサイタル」のプログラムに「はじめに青い海があった」は「男声合唱組曲」と誤記されている。これは,関西学院を非難する意味で挙げたのではなく,「組曲と曲集」だけでなく「組曲と(単独)曲」も演奏者の立場からは区別できないことを示した例としてあげた*。
「月下の一群」は前述のように曲集,「アイヌのウポポ」は「男声合唱のための」と記されており,組曲とも曲集とも書かれていない。演奏者の解釈に任せる,という意味だろうか。
* 大中恩の「島よ」は合唱曲だが長いため,詩に応じ6つに区切られる。区切りには「枯れ木と太陽の歌」のようなタイトルは付けられていないが,それでも「合唱組曲」と誤記した例が散見される。
ややこしいのが編曲された合唱作品で,例えば信時潔の「沙羅」。昭和11年(1936年)の初版楽譜に「沙羅」とのみ記されているが,なぜかいまは「歌曲集 沙羅」とされており,これを木下保や福永陽一郎が合唱編曲したものは「男声合唱組曲 『沙羅』」と「合唱組曲」になっている。解釈するなら,信時が歌曲集として曲順にこだわらない作品として出したものを,木下や福永は信時が並べた順に演奏するのが最も音楽的であるよう編曲したので,曲順の変更を許さないため「組曲」と銘打った,ということだろうか。信時の初版を尊重するなら,例えば「『沙羅』 男声合唱編曲版」とするべきだろう。組曲と言いたければ,「信時潔の『沙羅』による男声合唱組曲『沙羅』」であろう*。
福永陽一郎編曲の「さすらう若人の歌」やドボルジャークの「ジプシーの歌」は「男声合唱とピアノのための」とされており,こういう書き方が良いと思う。
なお,多田武彦の作品はほとんどが「組曲」とされているが,初期の出版楽譜には「組曲」とクレジットされていないものがある。「草野心平の詩から」「北陸にて」などだが,これらは後に出版された楽譜で「組曲」とされたか,または作品解説の中で多田が「組曲」と記しているので,組曲と扱う。
* 福永は女声・男声・混声版を編曲しているが,最初に編曲した女声合唱版を「私の手になる最も美しいものとして,世の中に発表したいのです」としている。男声版については,歌曲を初演した木下保がこの曲集は女声合唱より男声合唱に適していると考えておられたこともあり,「伴奏付きのホモフォニックな男声合唱曲というイメージがどうしてもピッタリこない」が,他人の編曲には絶対に我慢できるはずがなかったので「女声合唱のときには一切の手を加えなかったピアノ伴奏の部分は,ホモフォニィの男声の響きの中で,まったく別の役割をあたえられることになり,移調をふくめて,全体にかなり多くの改変が加えられた」としている。木下も女声・男声・混声版を編曲している。
みてきたように,組曲と合唱曲,組曲と曲集の違いは微妙で作曲者が恣意的に決めていると言っても良い。第三者が正確に仕分けることはまずできない。
最近では「男声合唱とピアノのための○○」とタイトルされ,「組曲」が入っていない曲,例えば鈴木輝昭の「男声合唱ピアノのための『満天の感情』」「カムイユカラ ~アイヌ民謡による男声合唱とピアノのための~」がある。これらはタイトルに組曲はないが,まえがき等に組曲と書いている*。
* この「男声合唱とピアノのための」という表現は,合唱とピアノが対等であることを明記している。逆に言うと,明記されずにピアノなど楽器が付く場合は,合唱が主で楽器は従の扱いであった(伴奏という表現にあるように),と言っているように思えるがそれで正しいのだろうか?
最後に,先に述べた声楽合唱辞典には面白い記述があることを紹介する。
「また歌曲や合唱曲にも最近は組曲と銘うつものがあり,多くは統一的な内容をそなえるが,必ずしもそうでないものもある。」
これは清水脩が書いたのだろうが,読み方が難しい。一般に合唱組曲は,例えば清水の「月光とピエロ」のように,一貫した主題のもとに構成されていると思われるが(たとえ明示的でなくても)*,この記述を「そのような一貫性がない組曲もあって良い」としているのか,「組曲と称しているが,むりやり詩を組み合わせた一貫性がない変なものもある。困ったもんだ。」という意味なのか。
* 組曲の主題,あるいはタイトルとして作曲した詩が収録されている詩集のタイトルを用いる例は多い。厳しい言い方をすれば,主題と一貫性は詩人が考えているので,作曲家はそこから撰ぶことで「自動的に」担保される(もちろん,どの詩に曲をつけどの順に配列するかは,作曲家の腕の見せ所)。では,多田作品に多い「〇〇の詩から」の主題はどう理解して歌われているのだろうか?「〇〇の詩から・第二」「〇〇の詩から・第三」と続く場合は同じ主題なのだろうか?
私は後者ではないかと思っている。「合唱サークルvol2 no.1」に清水の「日本の合唱曲について」という記事があり,最近は合唱組曲が流行っていることを述べた後で「しかし,中には無理矢理に組み合わせた結果,通奏した時の表現上の統一感が欠落したものがある。」と批判しているからだ。作曲者がそれを組曲と名付けている以上,構成や内容の「不完全さ」をもって「組曲ではない」と他人が言うことはできないため,このような記述になったのではないか。言い換えると,清水は組曲の第一人者としての自負の元,組曲とはどうあるべきか,見識があったことになる。それが何か,先程の記事や,多田武彦が清水脩からの教えとして書き残したことをまとめる*。
・組曲を作る上で最も大切なことは,テンポの配列である。組曲に限らず,ソナタでもシンフォニーでも同じで,四つの楽章の配列は,歴史的に最も妥当なものとしてうけつがれ,残されてきたのである。
・組曲を作る場合は,その組曲の一貫性を的確に表せる題材を求めなければならない
・その一貫性を保ちながらも,一つ一つの曲の間には,コントラストや,起承転結や劇的構成がなければならない
・更に,そのような一貫性やコントラストなどを明確にとらえられるような「楽式」や「モチーフ」を選ばなければならない。だからこそ,そういう楽式やモチーフに適した詩を選ばなければならない。これを忘れて,いい詩だからという動機だけで作曲すると可成りの作曲家でも失敗する
* 第一項は合唱サークル,第二項~第四項は東芝「現代合唱曲シリーズ 雪明りの路 多田武彦作品集」のライナー・ノート(福永陽一郎)に,多田の回想として引用されている。
これらは「良い組曲を作る」ための心構えとも言うべきもので,合唱組曲の必要条件ではないけれど,組曲を分析する際の指針の一つとして記しておく。
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